hitomi's poetry
想い出綴り−66 アイコンタクト

cici
 先日フジテレビテレビで放映していた『モンテ・クリスト伯』で、俳優の伊武雅刀が寝たきりの老人を演じた。
 彼は主人公・柴門暖を罠にはめた入間公平の父親・貞吉役で、脳梗塞で倒れて以降歩く事も喋るも出来ずベッドの上にいた。
 貞吉はベッドに横たわったままで人とのコミュニケーションは、彼の視線で相手が文字を入力する50音ボードを使っていた。
 首を動かさず声を出さずジロリと公平や嫁に視線を送る、その目だけの演技に迫力を感じた。
 ベッドで寝た切り、50音ボードでの意思の疎通、このシーンを見ていたら同じ様な光景が過去の記憶から蘇った。
 あれは平成16年7月11日夜の7時過ぎのこと。
 「瞳、帰るわな」
 病室のベッドに横たわる瞳に目をやり手を振ると、何かを訴えたそうに妻と私を見て足をバタつかせた。
 瞳の傍に寄り「また明日来るからな」と語りかけると、なぜか悲しそうな顔をしていたように見えた。
 もう少し居てやりたかったが、入院時の入院手続きの冊子に記されていた文言が脳裏に浮かんだ。
 『面会について=面会時間・全日13:0019〜19:00=定められた面会時間は固くお守り下さい』
 日曜日だったので夜の仕事も無く少し居てやりたいと迷ったが、「仕方がない、また明日来るから大丈夫」と思い直した。
 しかし、次の日に見舞いに行くと瞳は声をかけても反応をせず、人工呼吸器を口にして目を瞑ったままだった。
 何度も何度も瞳の手を握るも握り返えしが無い。握る返す力も残っていないのか。
 その日から以後は瞳の意識がかすかになり、目を瞑ったままになった。
 6月27日、瞳は肺気腫なのに仕事上で嫌な事があり眠剤を過剰に飲んで意識不明となり救急車で病院に運ばれた。
 そして入院をしてから5日目、絶望的な状況から少し回復して見舞った私たちが分かる程になった。
 明るい兆しが見えたものの声が出ず会話はままならなかったので、意思の疎通は看護師が用意をした50音ボードだった。
 話したい事をボードの文字を指で差しながらアイコンタクトを取るものの、ぎこちない動作にお互いに歯がゆさを覚えた。
 それでも徐々に回復するものと信じて、毎日期待に胸を膨らませて病院通いをした。
 そして問題の7月11日夜の7時過ぎ、その日のやり取りが瞳との最後のアイコンタクトになってしまった。
 あの時、病院の規則を無視してでも、なぜもう少し遅くまでいてやれなかったのか、歯切れの悪い別れ方が悔いが残る。
 あの日の淋しそうな瞳の目が脳裏に焼き付いて、ふとした時に脳裏をかすめる。




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