PART-10 |
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礼に始まり乱に終わる | ||
「イヤー課長、それではまず、ご一献」とこれは、まだ始まってまもない。それが「マ、どーぞ、え、もういい?いやー、なにを」。ここらですでに目はすわり気味。さて、それが、「あー、飲んで飲んで、ナニ、いらん?何をゆーとる、それそれ」。ああ、もうこの先は書けない。 かくして、お父さん達の夜は、ふけてゆくのであります。 ある国会議員から聞いた話。テレビ中継などある時は、与党と野党(共産党以外)の議員さん達、華々しく殴り合い、いかにも対決という雰囲気を演出し、夜になると赤坂の料亭で手打ちという事が多いとか。乱に始まり、礼に終わるというわけ。 |
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始めは礼儀正しく飲んでいるが、飲むほどに乱れ、最後は無礼講で乱れて終わる。酒宴の状態。 |
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金の切れ目が縁の切れ目 | ||
この世は「金がモノをいう世の中」である。 恋愛時代は、彼がデートのたびに豪華な食事に誘い、お金をパッパッと使うのは鷹揚にみえて頼もしい。 ところが結婚すると、パッパッとお金を使う夫に腹が立つ。喧嘩というと、お金の使い方というのが大概の家庭の図。それで気が合わないと積もり積もって離婚という事も。 やがて子供が生まれると、第一の生活となり、成長して、金の切れ目が縁の切れ目と巣立ってゆく。 そのうち可愛い孫に小遣いを渡すのが楽しみとなり、小遣いをやるのが縁のつなぎ目となる。 慰謝料ウン百万円、毎月の養育費ウン十万円という具合に取り決めして離婚した場合、縁の切れ目が金の続き目というべきか。 |
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金銭の無くなった時が、関係の切れる時。 | ||
老いの幸い | ||
一昔前は養老院といって暗いイメージがありましたが、今は老人ホーム、名実とも明るくなりました。 近くの※軽費のホームへ近所の主婦達が出入りして、お年寄りと一緒に、人形作りや機織りをしています。 わが友、何人かホームにあこがれていて、もし、ダンナが先に逝ったら、入りた。食事ごしらえから解放され、三食付き、個室だから、その分、好きなことができる。やりたいこといっぱい…と云っております。 それぞれ、老いの幸いといえる日が持てたらいいのですが…。 ※適当な住まいのない老人に、あまり経費のかからない個室制の有料ホーム。三食付きのA型と自炊のB型とあります。 老後の楽しみや幸福。 |
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論語読みの論語知らず | ||
以前、きくばりの仕方を書いた本が評判なので読んだ事がある。 「なるほど、なるほど、ボクも早速、気バタラキ。よい本はすぐ薦める事にした。これが気くばりというものだ。ハハハ…」 「人に薦められた本が面白かったためしがない。やっぱり気くばりが足らんなァ」と相手は有り難迷惑そうな様子。 そーですか。人に薦める本はワルイ本、同じ本やのに、どうなってんの。 かくしてボクは、人に本を薦める事も、貸す事もなくなった。これがボクの気くばりです。 本を読んで文章は分かっているのだが、実行できないことのたとえ。 |
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禍わざわいを転じて福さいわいとなす | ||
熟年というカッコよい言葉があるが、50歳代ともなれば、身体のほうはクタビレてガタがくる。 我が激友?目がかすむので、医者へ行くと、白内障。本など読まぬようにと言われた。子供の頃から、ご飯より本が好き、という彼女。本も読めぬ人生なら死んだ方がましと一念発起、点字を習い始める。いずれ点字本のお世話になるのならばと点訳奉仕を始める。そして、今四年目、三十冊の成果。いつの間にか白内障は治ってしまいました。 身にふりかかってきた禍をうまく利用して幸せになるようにする。 |
天衣無縫てんいむほう | |
豪放磊らい落、天衣無縫、良い意味だが、私のような繊細、かつデリケート、針のようにとがった感性を持つ佳人には耐えられない言葉です。 こう書くと、「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」の如何にも神経質そうな美人を想像されると思うが、どうしてどうして 「立てば土管、座ればヤカン、歩く姿はもうアカン」で、見かけだけ天衣無縫そうに見えて悩んでいるのです。 天女の衣には縫い目がない、そのように、詩や文章が、わざとらしい技巧がなく、自然で美しいこと。 |