パロディことわざ集

PART-4
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十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人
 さる人、村始まって以来、五十年に一度、でるかでないの神童と
いわれ、将来を嘱望されておりました。
 歳月は流れ、今、四十代、会社員。楽しみに野菜を作っている。
今年は、大きな桜島大根ができたと、一つくれました。定年退職後
はこ百姓をするのが夢。
 これが自然というものではないでしょうか。神童だったら長生きで
きないもの。
 これが自然というものではないでしょうか。神童だったら長生きで
きないもの。

百姓をするというのは、自然の子になりたいという、ナゥイ、インテリの夢なのだ。
幼少の時は並はずれた秀才といわれた人も、成長するにしたがって平凡な人となる。
かんを蓋おおうて事こと定まる
 葬式に行き、「このたびはご愁傷様でございます」と喪主に挨拶する。
人は生まれた時、「おめでとう」と言われるところから始まる。
そして大人となり、あの人に「おめでとう」この人に「ご愁傷様」と言って
いるうちに、自分の番がきて「ご愁傷様」で終わり。
 さて、花に埋もれた棺の中の人には聞こえないけれど、
「いい人だったなぁ」「もっといきてほしかったワ」「やりたい事の一ぱい
ある人だったね」「まあ、おれでやれやれ」
 棺を見送った人達は、それぞれの立場で、色々な事を言い始めるのである。
人の評価は死んでから定まるので、生きているうちは判断できない。
立て板に水を流すよう
 「アーウー」といえばかつての故大平首相。この話し方では
立て板に水には程遠い。が、この大平君が歴代首相の中で
一番、言葉が早い。暇人が数えた結果である。これは本当の
ことである。
 立て板に水を流したように聞きやすい演説とは戦前の名政
治家、永井柳太郎氏、大平首相よりゆっくりめの口調で区
切るところは 区切って話している。聞いた感じと、実際は違う
ものである。

(1881〜1944)国会議員、大臣などを歴任し、名演説をしたと評判の人。

立て板に水を流すように、舌の運びがなめらか。
狸が人に化かされる
 陶製の狸の置物を店頭でよく見かけます。他を抜きヌキんでて、品質がよい、
商売の繁盛を願うのでしょう。背負うている菅笠すげがさは用心深さ、太鼓腹は太
っ腹で腹黒くない、大きなふぐりは大金持ち。右手は徳利。左手は通帳。これ
は信用を表しているのだそうです。
 かなり以前のパンダブームの頃のこと、国鉄(現在のJR)の小さな駅構内
の踏み切りのところに、50cm位のパンダが立っておりました。びっくりしてジッと
見ますと、もとは、焼き物のタヌキで、目のまわり、身体の柄、白と黒のペンキで
塗り分けて、見事なパンダに化けておりました。
後日、その駅へ行った時、パンダの姿はどこに
もなく、地下道工事が始まっておりました。
ふぐり=きんたま 
片町線長尾駅(大阪府枚方市)。今は駅舎も建てか
わり、近代化されている。


人を化かすといわれる狸が、逆に人に化かされる。
人をだまそうとして、かえってだまされるという意味。
鬼も十八番茶も出花
誰でも十七、八の頃は人生の花盛り。その人なりに美しいのであります。
さて、その年月を経て、十八が八十になる。その時が問題。茶の香りなん
て、何もかも失せて出がらしの茶カス、捨てようでは困ります。若い頃から
の心掛けで培ったもので身を包み、「あんなおばあさんになりたいなあ」と、
まわりの人が思う。いうならば「女八十、玉露の味」ってところです。
 静かなひと時、玉露の味、香りは、まったりと口の中にひろがってゆく。
玉露を美味しく入れるのは、茶の葉、湯の温度、時間、それに落ち着いた
心など、とても難しいのです。

番茶でも出花は美味しい。どんな醜い人でも、十八の年頃はその人なりの
美しく見えるものであるという意。
うかうか三十きょろきょろ四十
 近頃二十以上は、皆、オジン、オバンなのだそうだ。そういった
女の子も、すぐ二十となりオバン街道まっしぐら…であります。
 さても、二十をすぎてからの1年の短さよ。ウァーこれはどうも…。
ヒァー…うかうかで悪かったな!しかし、まだ…でも  ブツブツ…
ま、しゃあない! もう中年か…

うかうかと暮らしていつうちに三十代は過ぎ、きょろきょろと落ち着
かぬ日を送っているうちに、四十代もすぐ過ぎる。少年老いやすく、
学なり難し…老いいるのは早い。
月夜に釜をぬかれる
 月の明るい夜なのに、一番大事な生活必需品をぬすまれるとは、
何というマヌケ…。
 前の車のブレーキランプが光っているのに、そのまま車を走らせる。
これが現代のオカマ!
 月夜の晩に、女だと思ったオカマに、XXをXXする事ではアリマセン。
いずれに、マノヌケタ話には違いありません。


明るい月夜だというのに、大きな釜をぬすまれる。ぼんやり、うっかり
しているという意味。

天知る地知る
 「鉄火面(テツカメン)とハ(テツ)仮面(カメン)(カブ)りたるまま、捕縛(ホバク)せられて仏国(フランス)大監獄(ダイカンゴク)バスチルに生涯(ショウガイ) を送り
一たびも其顔(ソノカオ)を見せずして仮面の(ママ)牢死(ロウシ)し仮面の(ママ)(ホウム)られたる(オソル)()(カナシ)()囚人(シュウジン)
異名(イメイ)なり」これは黒岩涙香翻案の鉄火面の書き出し。
 ()(フチ)()(コク)/()()がのびて、鉄火面(テツカメン)(イノチ)あやうし、「嗚呼(アア)(タレ)()る、天知(テンシ)る、地知(チシ)
る、(ワレ)無実(ムジツ)を!」と叫ぶのである。
 しんきくさいが、読み始めるとおもしろくてやめられない小説。日本でも冤罪(えんざい)無罪(ムザイ)を叫んい
でる人も多い。…また、自分がやったのは確かなのに無罪(ムザイ)を叫んでいる大者もいる。

自分が悪い事をして、誰も知らないと思っていても、悪事は必ずあらわれる。天地神明が知っている。
イカの手はくうても、その手はくわぬ
その手は桑名(くわな)焼蛤(やきはまぐり)ともいって、あいのてのシャレ言葉である。
昔の人は、なかなか優雅なので、これで会話が通じるのである。
今なら、「ウッソー、ホント、イヤダァー」と話をすすめること。
特にあなたが若い女の子の場合、「クソッタレ」「バケ」「ヤラシー」
などを加えて話すとなお今風?です。
食わないの“くわな”と、焼蛤で有名な桑名(三重県)をかけて、その手はくわ
ない、とシャレていったもの。


うまい話にはだまされませんよという意。
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