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不惑の歳 (18/9/15)

 昨日、娘の元同級生のR子ちゃんが瞳の仏壇に手を合わせに来た。彼女は毎年、お盆に来てくれるのだが今年は用事があり1か月遅れになったとか。
 「いつも有り難うね」
 「いえいえ」
 「ところでR子ちゃんはいくつになったん?」
 「40歳です」
 「へえ、もう40なんや。いつ見ても若いから40には見えへんわ」
 「もう40歳よ。瞳も生きてたら40歳やね」
 そうそう、瞳は9月13日が誕生日なので40歳になったばかりだ。
 40歳と言えば不惑の歳。孔子は『40にして惑わず』と言うが、私は70歳になっても惑っている。
 今の店(スナック)を少なくとも50周年までは続けたいが、足と腰に痛みを感じる日々で、立ち仕事ゆえに続けようかどうか惑っている。
 それと、開業して39年になるが私の加齢と共に客層も高年齢化、諸般の事情で徐々に減ってきてかなり暇になった。
 「値段を下げよか」と妻に言えば「下げてもお客さんが増えるとは限れへん。それで売り上げが落ちたら最悪やで」
 確かに一理ある。
 年寄り夫婦がカウンターの中に立っていても若い人達は来る事はない。
 もし、瞳が生きていて手伝ってもらえば、若い客層も増えて活気を取り戻せるのだが。
 瞳が40歳だと孫もいる事だろう。
 「店は娘がみて孫は老夫婦がみて、時々私は店に出る」
 こんな夢も叶わない。
 痛む足と腰をさすりながら、値段を下げるべきか、店を続けるべきか、70にして惑う。

※不惑(フワク)の歳=40歳を指す。「私は40歳になって人生の方向性が定まり迷いもなくなった」という意味、中国の古典『論語』の一節に「四十歳にして迷わず」と書かれていた事から来ている。




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