hitomi's poetry
想い出り−22 東京
cici

東京…
私は去年の3月に東京へ行った。30年ぶりだった。
渋谷で目にした大勢の人並み、堺との大きな違いに驚いた。
堺の繁華街の1年分の人並みが一挙に集まった感じだった。
このひしめく雑踏を見ながら、ふと瞳の言葉を思い出した。

生前、瞳は「東京で住みたい」と私に言った事があった。
理由を聞くと彼氏が東京に行って住んでいるからだとか。
また、「東京へ行って本場のダンスを習って極めたい」とも言った。
そう言えば、普段から「ダンスで目立ちたい」とよく口にしていた。
夢を追いかける事はいいのだが、遠く離れて暮らすのは不安だった。
また「東京という巨大な魔物に一人の小娘では呑み込まれてしまう」。
そう判断した私は、心配だからと娘の「東京行き」を反対した。
(本当は私自身が寂しいのもあった)
詳しく話を聞いてみると…
瞳には彼氏がいた。しばらく続いた二人の愛の暮らし。
しかし若い彼は仕事に希望を託して東京へ行った。
日にちを置いてから瞳も行くが、彼には東京で新しい彼女がいた。
その彼女というが、瞳の親友だったとか。大阪での…。
衝撃と悲しみにうちひしがれた瞳は寂しく新幹線に揺られて大阪に戻った。
幾日も眠れぬ夜を過ごすうちに「二人を見返したい」と思う様になってきた。
そして、瞳は東京行きを決意したらしい。

私は「東京というところはそんなに甘ないで。思うようにはいけへんで。
彼とは縁が無かったんや。遅かれ早かれ別れてる。はよ別れてよかったやん。
父さんも近くにいてるし、こっちで頑張りや」と諭した。
瞳は「うん」と返事をしたものの心持ち納得していない様子。
寂しそうな眼差しでフッと窓の方に目をやったのを思い出した。



























想い出−23 終の棲家(ツイノスミカ)
2年前の4月の初旬、瞳の三周忌を4ヵ月後に控え、私は気持ちが揺らいでいた。
三周忌迄には瞳のお骨の安住の地を決めるように、と周囲から急かされていたからである。
妻や姉は安い予算でいけるからと天王寺の一心寺を薦めた。
また娘の死去で子孫が絶たれ、墓を守れるのは私達の代で終わるが、一心寺なら10年ごとに集まった遺骨で骨仏を作り永代供養をしてくれるとか。
だが他にアテがあるわけではないが、私はあまり気乗りがしなかった。それは瞳にお墓を立ててあげたかったからだ。
しかし広告を見ると霊園は遠いし高い。他に無ければ一心寺に入れるしかないが、できるだけ結論を引き伸ばした。
そんな気をもんでいたその月の末、運命的というべき最適の墓地のチラシを見た。
そこは家から近く、先祖も祀れると書いてあったのでこれだと思った。
当初の予定では瞳の一心寺、父の四条畷・飯盛山霊園、母の茨木霊園と妻方の墓地の4箇所を回らなくてはいけない。墓参りをするのが大変だった。
私が気に入った墓地は自宅から自転車で5〜6分位の所にあるので、いつでも気軽にお参りできる。私が先に逝っても妻が一人で気軽に行けるので便利だ。
そして父と母の御霊を一緒に祀れるのが魅力だ。交通の便の悪い遠くの霊園だったら買ってなかっただろう。 
それにしてもよいタイミングで広告が入ったものだ。もう少し遅かったら一心寺に納骨するところだった。これは天のお導きなのかもしれない。
小さいながらも瞳の“終の棲家”を見つけたよ。
いつでも会いに行ける家から近いところに。
ささやかながらも私が君に出来る精一杯の贈り物。



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