(1)奥さんと呼ぶのはなぜ?
自分の妻を他人に言う時は、ワイフ、うちのやつなどと言いますが、他人の妻を呼ぶ時は、奥さんと言います。なぜでしょう?早稲田大学の興津教授によると、妻を呼ぶ言葉には「奥さん」「女房」「細君」「夫人」などがありますが、「奥さん」「奥様」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからだそうです。「奥さん」「奥様」の「奥」とは、江戸時代の将軍、大名、旗本などの武家屋敷において主人のくつろぐ奥の部屋の意味だったのです。
主人の公務用の部屋が「表」であるのに対して、「奥」は主人や夫人、奥女中が住み、主人以外の男性の立ち入り禁止の場所でした。将軍家では特に「大奥」と呼んだのです。
この様な事から、武士の多かった江戸では、武家
の妻だけを「奥様」と呼び、庶民の街・大阪では、富商や医者の家でも「奥様」と呼びました。一般家庭で使われる様になったのは、明治時代に入ってからの事です。
(2)SOSの本当の意味は?
「SOS、SOS、こちらは、タイタニック号…」。1912年に起こった、大型客船タイタニック号の海難事故で、遭難信号のSOSが初めて使われました。このSOSは、受信した場合、あらゆるものを差し置いても救助にあたらなければならないという最優先の緊急信号。SOSは「Save Our Souls」の略だともいわれいますが、本当はそうではありません。
「当初はCDQ(各局、遭難の意)が使われていました。しかし、モールス符号の為に聞きにくかったのです。トントントン・ツーツーツー・トントントンのSOSが、単純で聞き取りやすいので緊急信号に採用されたのです」(運輸省航海訓練所)。
1912年に国際条約として決まるまでには、SSSDDDやSOEという信号にしようと提案された事もあった様です。昔は飛行機でも使われていた無線電信のSOSも、今は船舶と一部の漁船だけ。でも、24時間体制で事故に備えています。
(3)なぜ「おはこ」は十八番?
得意なものを「十八番」とか「おはこ」といいますね。これはなぜでしょう。どちらも同じ、歌舞伎から出た言葉です。江戸時代の中頃、7代目市川団十郎は、初代から市川家に伝わる主な演目を集めて、歌舞伎十八番を決めました。
18が縁起のいい数とされていた為、題名しかわからないものも含まれています。又、有名な「勧進帳」は、この時新しく作られたもの。これらの台本を大切に箱にしまっておいた為、これら18演目を「箱」といい、やがて大切に伝える得意芸の事を「おはこ」と呼ぶ様になりました。大事な娘=「箱入り娘」という言葉も、ここからきたものと考えられていあます。
(4)ニキビの語源は?
9世紀〜11世紀末までの日本の宮廷を描いた平安時代の「栄華物語」に“にきみ”という病気がでてきますが、実はこれがニキビの語源。「に」は“丹”と書き、赤土で染めた赤い色をいい、「きみ」は“黍”と書き、今でいうキビ(キビダンゴの原料にする穀物)の事です。
キビの実が熟すと実の先が赤くなるのですが、この様子がニキビそっくりなので“丹黍(ニキミ)”と呼び、のちになまってニキビという様になりました。
江戸時代の川柳に“だいぶんにニキビは恋のあまり水”というのがありました。これは精力があり余ると、ニキビが出来るという意味。
そういえば学生時代に額、アゴ、左頬、右頬の順に「想い、想われ、振り、振られ」というニキビ占いをしていましたが、恋とニキビは深い関係がある様です。
(5)酒飲みを左党というわけは?
酒飲みを「左党」または「左利き」といいますね。杯を左手で持つわけでもないのに、なぜそう呼ぶのでしょう。実は、この言葉は、大工道具の“ノミ”から来ているのです。ノミを使う時は左手で持ちます。この“ノミ”が“飲み”に通じ、転じて酒飲みが「左利き」「左党」と呼ばれるようになったのです。
(6)「下らない」は?
「下らない」という言葉は酒からでたものです。江戸時代、酒の名産地はやはり大坂(現大阪)であり、江戸でよい酒とされるのは大阪から下ってきたものでした。富士見酒と呼ばれるものがこれです。つまり、下ってこない酒はまずい、ここから転じてつまらないものを下らないというようになったのです。
(7)“源氏名”の由来は?
水商売などでホステスが本名でない名前を付けますが、これを源氏名といいます。では、この源氏名の由来、実は『源氏物語』には、1つひとつに『夕霧』や『浮き舟』と、内容に関係のないロマンティックなタイトルがついています。この巻名が、平安時代末期の女官に名前としてよくつけられました。この習慣は白拍子(神前で舞を舞う女性)に伝わり、江戸時代に白拍子が遊女になってからも続きました。やがて水商売の女性や芸人にも伝わります。芸能人の芸名も源氏名といわれる訳です。
(8)“俺”“僕”“私”の語源は?
自分を指す言葉として一般的なのは、“俺”“僕”“私”です。さてこれらの言葉、いつ頃から使われているのでしょう。
一番古いのは“僕”です。元は“人に従う”という意味の漢語で、転じて自分をへりくだって言う言葉になりました。日本では江戸時代の中頃に、漢語を好む学者達が使い始め、明治になると書生に受け継がれて、広く使われるようになっています。
“俺”は鎌倉時代に登場し、貴賤男女の別なく、特に江戸時代に広く使われました。“おのれ”を語源とする説と、“吾あれ”が変わったという説があります。当時は、現在のような品のない言葉ではありませんでした。
“私”は、江戸時代には吉原の女郎の言葉でしたが、明治になって一般に広まりました。今でも“私わたくしする”と使うように、“自分の利益を図る、公然でない”というのが元の意味。“俺”とは逆に、悪い意味だった訳です。
(9)薬品名の語尾に「ン」が多い?
サラリン、ノーシン、パンシロン、パブロン…。薬の名前の語尾には不思議なくらい「ン」のつくものが多くあります。カタカナ語だけでなく、漢字でも救命丸、正露丸、救心、胃散など「ン」で終わる薬の名前は沢山あります。
一つの理由として、薬の成分になっている化学名のスペリングが「n」で終わるものが多いことがあげられます。外国語の名前をそのまま使ったり、もじって命名するからです。
また商品は縁起を担いでつけられることがあり、「ン」は運に通じ、将来運がついてよく売れてように、という願いをこめたのです。そういう命名法が昔は少なくありませんでした。いまでは横書き文字はすべて左から右へ読みますが、昭和20年代の初めまでは右から左に読んでいました。切り替わったとき、「トラベルミン」を「ンミルベラト」と逆から読んでしまうような人が多かったのです。しかし、「ン」で始まる日本語はありませんから、すぐに左から、「トラベルミン」と読むことに気づきます。その辺を考えて終戦直後のカタカナの薬品名は「ン」をよく使ったのです。
では、漢字のほうはどうなのでしょう。昔は丸薬には、「(がん)」という字をつけました。病気が治るように「(がん)をかける」と縁起を担いで好んで使われたのです。このほか、「ン」がつく語呂がよい、覚えやすいなど、色々な理由が複合して、今日までも「ン」をよく用いるのです。
(10)赤の他人はなぜ“赤”
 まるっきり縁のない人の事を“赤の他人”といいますが、なぜ他人の色が赤なのか?この言葉の語源には色々な説があります。立教大学の宇野義方名誉教授によると「“赤裸”“赤恥”“真っ赤なうそ”などというように“赤”には“まったくの”という意味があり、昔は接頭語として使われていました。そこに“の”がついて“赤の他人”となったようです」。
 “赤”は“明い(あかい)”から“明らかな”という意味にもなったともいわれているとか。
 また、“赤”は梵語の“閼伽(あか)”からきているという説もあります。“閼伽”とは、仏に供える水のこと。そこから、水のように冷たい間柄、という意味で“赤の他人”という言葉が出来たのだとか。
 ちなみに、ロシアのモスクワにある“赤の広場”の“赤”も色のことではなく、“誠”“純”という意味のロシア語だということです。