愛netコミュニティ・雑学集
(タバコ)
(1)タバコはいつ伝来したか?
日本たばこ産業株式会社の話では、タバコの伝来時期については色々な説がありますが、主に、天文12年(1543)ポルトガル人によって鉄砲が伝えられた時に、タバコも一緒に入ってきたという説、また、天正12年(1584)にスペイン人の手によって長崎の平戸に上陸したとする説、などがあります。
統治、南蛮渡来の万能霊薬の生薬と言い伝えられた事から、慶長10年(1605)頃には全国的に大流行。火災や浪費癖につながるとして、幕府はたびたび禁止例を出しましたが、効果はほとんどありませんでした。
日本で最初の紙巻きタバコは、明治2年(1869)、元彦根藩の武士、土田安五郎という人によって作られました。それまでのキセルによる刻みタバコに代わって愛用されだしたのは昭和10年頃から。現在、紙巻きタバコの年間消費量は約3000億本。
国産で良く売れているのが“マイルドセブン”です。
(2)タバコの数字の意味は?
タバコ1本1本に印刷されている、4ケタの数字の意味を知っていますか?上2ケタは全国にある製造工場の番号、下2ケタは、タバコを巻き上げた機械の番号です。不良品が出た場合、どこで作られたものかすぐわかる様に付けられているのです。
ところで、タバコの巻き紙には、どんな紙を使っているのでしょう?普通の紙はパルプから作りますが、タバコ用は、麻100%の特製のもの。
@燃えても匂いがしない事。A中の葉タバコが透けて見えない事。B伸縮性がよく、印刷、のりづけに適している。
つまり、機械の製造工程に耐えられる事。以上の点を研究した結果、麻が選ばれた訳です。
(3)セブンスターの星の数は?
セブンスターのパッケージを広げてみると、1710個の星が印刷されています。しかし組み立てる際に裁断やノリづけの位置がずれたり、封かん紙やテープで隠れてしまうこともあるので、実際に見える数は一定ではありません。
(4)淀君は女性喫煙第1号?
戦国時代の終わり頃、鉄砲やキリスト教と同時に日本に伝わったタバコは、武士や商人の間で人気を集めました。豊臣秀吉の側室淀君(茶々)がタバコを好んだ事も記録にみえます。気丈な女性として知られる淀君は、秀吉を通じてタバコの味を知り、たちまち虜とりこになって1日中吸い続ける愛煙家のなったのです。
ところが、秀吉はある時、天下に向かって禁煙令を出したのです。熱愛する愛妾あいしょう、淀君の好きなタバコをどうして禁じたのか謎ですが、ある僧侶が「タバコは世を毒するもの、日本侵略を狙うバテレン(キリシタン)どもの陰謀」と耳元でささやいたからだという説があります。淀君のあのヒステリックな言動は、タバコの禁断症状に原因する、といううがった説まであります。
江戸時代の中頃には、“客あれば、お茶より先にたばこ盆”とまでいわれ、作法にも茶道や華道なみの厳しさがありました。当時、紙巻はまだ無く、刻みタバコを長いキセルに詰めて喫煙していたのです。
明治になると、現在のような紙巻が登場し、未成年の子供達にも広まりました。小学生がくわえタバコで町を歩いたり、授業の合間に教室で一服していたといいますから、尋常ではありません。
さてタバコの吸い頃は、製造後1年。一般にはあまり知られていませんが、店頭で買ったタバコが1年以上経過したものだった場合、その場で新品と交換してくれるのだそうです。
(5)愛煙家はタバコに思いやりを
名随筆家内田百聞のエピソード。彼は大のピース党。しかも、缶入りを愛用した。さて、彼の吸い方が変わっている。缶のフタを開けて、まずじっと中をのぞき、モゾモゾと何事かをつぶやく。「どのタバコが吸われたがっているのかな?」。やがておもむろに、その中の1本を取り出して、プカーリ、プカーリ。
タバコを愛する者は、せめてこれくらいの思いやり、愛情を持ってはいかがでしょうか。タバコに敬意を抱いてこそ、うまい1本を選べるのです。内田百聞のこのエピソードは、人間とタバコの本質を教えてくれるような気がします。