| 愛netコミュニティ・雑学集 |
| (通信・電話) |
| (1)日本の電話第1号は? 日本で初めて電話が通じたのは東京都横浜。明治23年12月16日の事です。この時の加入者は東京が155名、横浜が42名。 他に加入申し込みを済ませて番号まで決まりながら、架設工事の間に合わなかった人が東京で60名、横浜で3名いました。電話番号は1番からの通し番号で、東京の1番は東京府庁(現在の都庁)、横浜の1番は電話交換局でした。東京では、現在の天気予報と同じ177番が大隈重信。他に渋沢栄一(明治の大実業家)、岩崎弥太郎(三菱の創業者)、前島密(郵便制度の考案者)らの名前もみえます。 当時の電話料金は、年間40円(現在約25万円)。同時に開設された公衆電話の料金は、5分間で5銭(現在約300円)と庶民には縁遠い存在でした。 しかし電話をひいた人の利用ぶりはかなりのもの。開通2ヶ月後の調査では、かける相手が200名足らずだったにもかかわらず、一人が1日平均7〜8回使っていた事が記録されています。 |
| (2)SOSの本当の意味は? 「SOS、SOS、こちらは、タイタニック号…」。1912年に起こった、大型客船タイタニック号の海難事故で、遭難信号のSOSが初めて使われました。このSOSは、受信した場合、あらゆるものを差し置いても救助にあたらなければならないという最優先の緊急信号。 SOSは「Save Our Souls」の略だともいわれいますが、本当はそうではありません。「当初はCDQ(各局、遭難の意)が使われていました。しかし、モールス符号の為に聞きにくかったのです。トントントン・ツーツーツー・トントントンのSOSが、単純で聞き取りやすいので緊急信号に採用されたのです」(運輸省航海訓練所)。 1912年に国際条約として決まるまでには、SSSDDDやSOEという信号にしようと提案された事もあった様です。 昔は飛行機でも使われていた無線電信のSOSも、今は船舶と一部の漁船だけ。でも、24時間体制で事故に備えています。 |