(マネー)
(1)「へそくり」の由来は?
 家計をやりくりして貯めるお金のことを「へそくり」といいますが、この言葉は井原西鶴の作品にも登場しているところを見ると、江戸時代のなかば頃にはすでに、ポピュラーな言葉だったようです。
 ところで語源ですが、漢字で書けば「臍繰り」、つまり、ヘソの奥から
繰り出してくるお金ということで、フトコロの奥にしまい込んだ虎の子という意味になる訳です。
昔は胴巻きにお金を入れて持ち歩く習慣だったので、お金を取り出す時は、文字通り、ヘソのあたりから繰り出した感じだったのでしょう。
 でもなぜそれが、こっそり貯め込んだ小金という意味になったのでしょう。実はへそくりの由来には、もう一つユニークな説があって、それはサトイモ科のカラスビシャクという雑草の根茎の呼び名からきたというもの。この根は、クリの実に似ているので人々からへそくりの名で呼ばれました。作物の害になる雑草ですが、この根は、漢方では半夏
はんげという大切な薬になります。そこで農家の主婦や老人がヒマをみてはこの根を掘って薬屋に売り、一文、二文という小銭を得ました。これがへそくりの由来だという訳です。
 もっとも最近では主婦のへそくりといっても、必ずしも少額の金とは限らないようです。額縁の裏や本のページにこっそりとへそくりを貯めたのは昔の事。現代の主婦はしっかりと自分名義の口座にへそくりを「貯金」しているようです。
(2)「」と書くわけは?
 ドルのマークが「」ですが、なぜSに二本棒を書くのでしょう。ドル(ダラー)
の頭文字のDを使えばよいと思いますが、Sというのは、スペインの事です。
 その昔、アメリカ大陸がスペインの植民地だった頃、本国のスペインから沢山の貨幣が入ってきました。ドレラと呼ばれたそれらの貨幣がアメリカで流通しているうちに、やがてドルという呼び名に変わっていったという訳です。
 Sに引かれている二本の棒は、地中海と大西洋を結ぶ、ジブラタル海峡の南北にある岩頭「ヘラクレスの柱」を表すものといわれています。
(3)「¥」と書くわけは?
 日本の円を、¥と記すのはなぜでしょうか。これも、ローマ字で表記すればenとなる訳ですから、Eの文字を使えばよさそうなものですが、それだと外国人に「イン」と発音されてしまう恐れがあります。外国人に正しく読んでもらうためには、yenと表記するしかなかったというのが実情のようです。
 横棒の二本は
「F」のようにはっきりした象徴的な意味はなく、アルファベットのYと区別をつけるためにひかれたというのが本当のようです。yenの文字が初めて使われたのは、明治5年に発行された政府紙幣からで、明治7年には1円銀貨にも[ONE YEN」という表示がみられます。
(4)サラリーは「塩」だった?
 サラリーという言葉の語源は、ソルト(塩)です。これは、古代ローマ時代に塩で給料を支払った事からきています。この制度は初め軍隊で採用され、以後官僚から一般の人々へと次第に広まっていきました。当時は給料をもらうのは卑いやしいとされていましたが、権威ある軍隊が最初に始めたので、抵抗なく受け入れられていったようです。塩はラテン語でサールといい、給料、あるいは現物給与の事をサラリウム、給料をもらう人をサラリウスというようになりました。これが現在のサラリーマンという言葉の語源になったわけです。
 日本でサラリーマンという言葉が使われ始めたのは、昭和30年頃のようです。戦前は月給取りや腰弁と呼ばれていました。腰弁とは、腰に弁当を下げて勤めに出たところから生まれた呼び名で、主に官僚や公務員を指して使われ、彼らを卑下した名称でした。
(5)お金は子安貝でできていた
 お金とか経済にかかわりのある漢字には、貝の字のつくものが多い。貨、財、貯、賃など文字通りお金に結びついた文字の他にも、貝のつく漢字は沢山あります。
 例えば、経済の根本である「売買」。売の字は現在、新字体になってしまった為、貝の部分が見当たりませんが、正字で書くと「賣」となってやっぱり貝が含まれています。貰う、貸す、費やす、貢、などみな金銭に関係しています。
 なかには、貧や貪のように、あまりありがたくない文字もあります。「加」は、貝を贈り物にして祝う事、「質」は、物を抵当にしてお金を借りる事、「責」は貸しを返せと相手を責める事、といった具合に、人間の生活にいかに金銭が密接であるかが、うかがえます。
 このようにお金に関係した漢字に貝の字が用いられているのは、その昔、金属貨幣ができる以前は、貝貨といって、美しい貝殻がお金として使われていた事によります。中国の内陸部では海産物イコール貴重品であった為に、子安貝が通過として立派に通用していたのです。また、魚をデザインして青銅や陶で作った魚幣とよばれるお金も、周の時代には使われていました。
 そもそも「貝」という文字も、子安貝の形を象形化したものなのです。
(6)古銭の四角い穴は何の為
 古銭を見ますと、どれも円形で中央に四角い穴が開いています。たまには丸い穴のものがあってもよさそうですが、和同開珎(わどうかいちん)の昔から寛永通宝に至るまで、ことごとく四角い穴ばかり。昔の人はコインのデザインなどに無関心だったのかなと疑ってしまいそうですが、実はどうしても銭の穴は四角でなければならない理由があったのです。
 銭は一度に何十枚も連なった形で鋳造するので、その後で1枚1枚切り離して、ヤスリで仕上げなければなりません。その時、1枚1枚作業していたのでは手間がかかるので何十枚も棒に通してまとめてヤスリを掛けました。銭の穴はその棒を通す為のもので、穴を四角にしたのは、ヤスリをかける時、丸い穴だったら銭が回転して、作業しづらかったからです。 また江戸庶民は、この穴に縄を通して100文ずつ銭をまとめ、持ち運ぶ習慣がありました。これだと財布も要らず、使う分だけ縄から抜けばよかったので、とても便利だったのです。この縄の事を「緡(さし)」とよびました。
(7)ニセ金づくりはいつから?
 正規のお金があるところ、必ずニセ金があった、というのが古今東西を通じての実情だったようです。
 では日本ではいつ頃からニセ金作りがあったのかというと、711年、奈良時代の初めに、既にニセ金作りで死刑になったという記録が残っています。日本で初めての鋳造貨幣、和同開珎が発行されたのが708年の事ですから、いかにニセ金の出回るのが早かったかがわかるでしょう。
 以後、時代が下るにつれてニセ金作りは盛んになる一方で、特に安土・桃山時代(1573〜1603年)は、鐚銭びたせんとよばれる粗悪な私鋳銭が横行した、ニセ金の最盛期(?)ともいえる時代です。現在でも残っている{ビタ一文出さない」という時の「ビタ」という言葉は、この粗悪なお金の事なのです。
 まsた『ギネス・ブック』には、世界最大のニセ金作り事件として、1940〜41年、第二次大戦下、ナチス・ドイツのベルンハルト作戦なるものが記載されています。これはイングランド銀行発行の5ポンド紙幣のニセ札を、何と3000万枚も作ったという、気の遠くなるようなお話です。
(8)お札の肖像にヒゲが多い
 現在(平成15年)流通しているお札に印刷されている肖像といえば、福沢諭吉、夏目漱石、新渡戸稲造、樋口一葉ですが、ヒゲのないのは福沢諭吉と樋口一葉です。現在のお札に変わる前、昭和59年以前は聖徳太子、伊藤博文、岩倉具視、板垣退助で、ヒゲのないのが岩倉具視だけです。
 戦前のお札を調べてみても、菅原道真、藤原鎌足、和気清麻呂など、なぜかお札の顔にはヒゲの持ち主が圧倒的に多い事がわかります。昔の偉人にはヒゲを生やした人が多いという事もありますが、実はヒゲは偽札防止にも一役買っているのです。お札の肖像は贋造を防ぐ為に、なるべくヒゲやシワの多い複雑なもの、つまりアクセントの多い顔である事が望ましい訳です。
 昭和59年の改定時に樋口一葉は候補にあがりながら、ヒゲもなければシワもない美人の為、偽札が作られやすい、という理由から没になった経緯があります。しかし現在の二千円札に登場したのは偽札防止の技術が進歩したからかもしれません。また、明治14年に発行された一円札には、若くて美しい女性、神功じんぐう皇后の肖像がちゃんと印刷されています。
(9)クイズの賞金に所得税は?
 クイズに限らず、懸賞に応募して当選したり、競馬、競輪、競艇などのギャンブルで儲けたお金、生命保険金などは、「一時所得」とみなされて課税の対象になります。
 現金だけではなく、賞品とか海外旅行とかいった物品でもらった場合もやはり同じ。最近ではテレビのクイズ番組などの賞金、商品もゴージャスになる一方で、数百万円の商品とか、一千万円のキャッシュなどという例はザラにあります。「どうせ申告しなければバレないだろう」などとタカをくくっていると、後でとんだ泣きを見ないとも限らないのでご用心。
 ただし、税務署といえども人の子、50万円未満のものに対しては課税しない事になっています。また、キャッシュでなくて品物で貰った様な場合は、そのものの定価の六割の金額に対して課税される事になります。例えば80万円のダイヤの指輪が当たっても、その六割となると48万円ですので、ギリギリのところで税金は控除されるという訳です。