(風俗・習慣:manners and customs)
(1)洋式トイレのフタの用途
 和式トイレにはフタがないのに、様式には必ずあります。一体、なぜでしょう?
 1790年頃、西洋にはトイレがありませんでした。寝室のサイドテーブルに、ろうそく立てと一緒に、“おまる”を乗せておくのが普通だったのです。衛生的に、フタが絶対必要になるわけ。18世紀の中頃に「トイレットルーム」が作られ、便所はようやく寝室から独立しました。しかしこのトイレットルームは、化粧や着付けを目的とした部屋。便器は付属品でしたが、フタを閉めて椅子代わりに使われました。ちなみに今も、英語では化粧のことをトイレットといっています。
 日本では、昔からトイレは用を足すだけの場所。フタ付きの洋式トイレは、明治10年頃、日本に伝わりましたが、化粧の際の椅子代わりに使われることはほとんどないようです。それでも、和式に比べて姿勢が楽なために、様式を好む人が増えています。
(2)外国のおもしろ習慣
 アパートでスルメを焼いていたらアパート中大騒ぎになり、巡査まで飛び込んできた。これアメリカのお話。スルメなんてないから、人間を焼く匂いと勘違いされたらしいのです。バアさんに、皮肉のつもりでヤング・レディといったら、ニッコリされて肩透かしを食った日本人もいます。アメリカでは、70才以上も、立派なヤング・レディなのです。
 イギリスにはもちろんお歳暮の風習はないけれど、贈り物に石けんを選ぶのは禁物です。石けんや下着といった直接肌につけるものは、肉体関係のある婚約者でないかぎり、誤解される元なのです。また、ビールの贈答券もタブー。気位の高い英国人いわく「私、ビールは飲まない。スコッチを大変好みます」。懐ふところが淋しい時に、路上でツバをはいてはいけません。現場を見つけられると数万円の罰金を取られるからです。
 可愛らしい八重歯もフランスでは通用しません。「狼の歯」といって大変嫌われます。出っ歯にもブリッジをかけて矯正するのがフランス人。ドイツ人に尾頭付きのタイを贈ってはいけません。頭についた魚は、気味悪くうつるらしいのです。子豚の頭や鹿の頭は平気で食卓に飾るのに、不思議ですね。
 インドへ行ったら、木陰や水辺に座ってリラックスすることさえ許されません。インド人はなぜか、小便していると勘違いするらしい。
(3)5月5日になぜ鯉のぼり?
 端午の節句は中国から伝わってきた習慣で、上巳じょうし(3月3日)や七夕と共に五節句の一つです。古来中国では、旧暦5月は悪疫がはびこり、厄よけをしなければならない月でした。そこで、この日に翌年の端午の節句までの健康や出世を願う習慣が生まれたのです。
 日本にこの習慣が伝わってきたのは奈良時代頃と考えられていますが、当初宮廷の中だけで行われていました。そして健康や出世を願うところから、男の子の節句に変わってきたのです。この習慣に、コイが滝を登って竜になったという中国の伝説が加わって、コイのぼりを上げて男子の立身出世を願うようになりました。江戸時代の中頃のことと考えられています。
 菖蒲湯しょうぶゆに入るのも元々は体を清めるためでしたが、後に尚武しょうぶに通じるとされたのです。
 コイのぼりの習慣は日本だけといえます。標準は吹き流し(滝を表す)、ヒゴイ、マゴイ、青ゴイですが、地方によって異なります。
(4)七夕の織姫は神の一夜妻?
 七夕様といえば、笹の葉に願い事を書いて結び、6日の夜から庭先などに飾る七夕行事が中心ですが、こうした風習は都会地で普及したもので、中国の星祭の影響を受けています。
 日本古来の七夕は、棚機津女たなはたつめの行事が中心でした。これは、織女おりめが機屋はたやにこもり、来臨する神の一夜妻となって村の災厄を持ち去ってもらうというものだったのです。棚機たなはたは機はたのことです。この棚機津女が略されて棚機となったのが七夕の語源でもあるのです。
(5)お色直しは一なぜするのか
 お色直しというのは、何の色にも染まっていない白無垢しろむくの式服で式に臨み、式が終わったあと婚家の色に染まるという意味からおこなわれた着替えの行事です。奈良時代の花嫁さんは、結婚して三日間は白い着物を着て、四日目から色のついた着物を着たそうですが、今の花嫁さんは、式の最中に色直しをしてしまうスピード変身です。
 古いしきたりでは、式服には実家の紋をつけ、色直し後の衣装には婚家の紋をつけることになっていました。こうしたお色直しの由来から考えると、花嫁に合わせて、新郎まで色直しをするのは、全くナンセンスだということになります。
(6)書初めの隠れた秘密
 正月2日は仕事初めや稽古初めの日。これからの1年の繁栄や技能の向上を祈ります。書初め(かきぞめ)もその一つ。昔は、学問の神様として信仰されている菅原道真(すがわらのみちざね)の絵や神棚の前で書初めをしました。そして神棚に備え、字の上達を願いました。
 江戸時代までは宮中の貴族達の間でしか行われなかった書初め、一般に広まったのは江戸時代の入って寺小屋教育により習字をする習慣が普及してからです。
 小正月(1月14〜15日)になると左義長という行事が行われます。小正月に正月の飾り物を集め、一斉に燃やす祭りで、“どんと焼き”と呼ばれています。この時、書初めも一緒に焼きます。火の手が上がると、“手が上がる(上手になる)”といって縁起がいいからです。