愛netコミュニティ・雑学集
(書籍:book)
(1)日本の雑誌の第1号は
 「雑誌とは、特定の題号のもとに一定の間隔をおいて長期にわたる刊行を意図し、毎号関連性のある時事的内容を編集・発行する出版物をいいます」(平凡社世界大百科事典)。
日本の雑誌の第1号は、慶応3年に柳川春三やながわしゅんさんによって編集された「西洋雑誌」(開物社・10日に1回発行)で、ヨーロッパの学術雑誌を翻訳したものでした。明治にはいると次々と創刊されますが、初期の頃は新聞と雑誌の区別がはっきりしていませんでした。
 現在の雑誌の始まりとされるのは、「明六めいろく雑誌」(明六社刊・明治7年)で、評論雑誌の第1号でした。そのほか雑誌の何でも第1号は…。
 少年誌は「家庭拾芳録じゅうほうろく」(聚星館じゅせいかん刊・明治7年)。家庭雑誌は「家庭叢談そうだん」(慶応義塾刊・明治9年)。週刊誌は「団々珍聞ちんぶん」(団々社刊・明治10年)。女性誌では「女学雑誌」(女学雑誌社刊・明治18年)。総合雑誌は「太陽」(博文館刊・明治28年)とされています。
(2)女性雑誌の日本1号は
 
女性誌はいつ頃からあるのか?文藝評論家の紀田順一郎氏によると「日本で最初の女性雑誌は、明治18年7月20日、東京の万春堂から発行された『女学雑誌』。月2回、1冊4銭で、現在の文芸誌くらいの大きさ。本分は20ページ程度でした」。
 その発行の主旨は、いわば“女性の地位向上と女権の拡張。女性解放運動の機関誌的なものでした。さて、第1号の内容は、神功皇后の御像つき小伝。宮内女官姓名録、清少納言枕草子、歌道と歌風の弁、文学を書く心得、生け花の秘法など、みやびやかなムードただよう教養モノ。“日本婦人改造論”なる懸賞論文も募集しています。
 「美容関係の記事が僅かにあるものの、ファッションや恋愛論、など現在の女性誌の主流とはかなり違ったもの。文芸評論や報道記事にも力を注ぎ、バーネット作『小公子』を日本で初めて若松賎子が翻訳連載した雑誌でもあるんです」。
 この雑誌、最盛期には週刊化され男性インテリ層にも読者を広げましたが、明治37年2月、526号をもって廃刊となっています。
(3)古書と古本は何が違う?
 古本屋といっても一口に言っても三つぐらいに分けられます。「古本」だけを扱っている店。「古書」だけを扱っている店。両方を扱っている店。
古本は「白っぽい本」と呼ばれ、新刊市場にまだおいてある本です。一般書店でも買えるお古の本という事になります。これに対して古書は、「黒っぽい本」と呼ばれ、すでに絶版になっていて、書店や出版社に注文しても入らない本です。新品の時の定価よりもはるかに高い値がついています。
 また、専門家やそれよりも古い和本のたぐいを「古典籍」と呼ぶことがあり、色々な分類があるのです。
最近の古本屋さんは、古書、古本の両方を扱っているところのほうが多いようです。本の値段が高くなっていますから、古本屋さんを上手に利用してみると、本を読む楽しみがもっと増えるのです。