(アダルトー3)
(1)なんで赤線と呼んだのか?
「売春」は女性の“世界最古の職業”ともいわれる程、古今東西に広くみられていました。日本でも古くからあったと思われますが、江戸時代からは公認の遊郭・郭くるわ、非公認の私娼窟ししょうくつの2本立てで続いてきました。それどかおらか第2次大戦直後には“一般婦女子の貞操を守る”といううたい文句で、進駐軍兵士向けの政府公認の売春宿さえ設けられていました(昭和21年5月、公娼廃止令で廃止)。
戦後も“2本立制”は形を変えて続き、警察の地図では“特殊飲食店”という名で許可された地域を“赤線”で、それ以外の非公認地域を“青線”で囲みました。
これが“赤線”“青線”の名の起こりです。昭和33年4月1日売春防止法施行までありました。同法の施行で全国600か所、約3万9千件、従業婦は約13万人が廃業。
(2)コンドームのお話
コンドームはいつ頃から使われたのでしょうか。日本では江戸時代末にオランダ人が伝えました。一般に広がり始めたのは明治43年。東京の風船屋・井上芳三郎が「ハート美人」という製品を作ってからです。この製品は、現在も作られています。戦争中は軍需用品となり、陸軍用の「突撃一番」、海軍用の「鉄カブト」という製品が多く作られました。この頃まで、使用目的は性病の予防でした。
戦後になると、商品改良が急速に進みます。特に目覚しいのが薄さ。一時“限界”といわれた0.05oが現在は0.02oに。この薄さものは日本にしかない為、海外にも輸出されています。ただし国内向けより、1cm長く作ってあるとか。
コンドームの語源はシャレで“今度産む”といわれますが、実際はイギリスの医師コントンの発明という説と、フランスのコンドン村の発祥という説のどちらか。現在イギリスでは“フランスの封筒”、フランスでは“イギリスの帽子”と呼び、お互いの国に責任を押し付けあっています。
(3)一生に出る精液の量は?
一生に出る精液の量は俗説では一升瓶4本分(約72g)といわれ、一番最後に赤い玉が出るという話もあります。精子を作る能力と、精液中の精子の量は、当然個人差もありますが、年齢によって大きく異なります。
例えば15〜20歳では、5〜10億の精子を含む3〜5ccの射精が毎日でも可能ですが、30歳になると、週2、3回。1度に出る精液の量は変わりませんが、精子は3〜5億に減ってしまいます。一生に出る平均的な量は精液が23・89g。一升瓶に換算すると、約13本になります。その中に含まれる精子は、11チョウ7千億匹。
では、若い時に節約すれば、その分、年取ってから使えるかというと、そうはいきません。たまったものを出さずにいると、機能自体が退化してしまうのだそうです。
といって若い時に出しすぎ、50歳を過ぎてパッタリ途絶えてしまう人に、前立腺ガンが多いという説もあるのです。“適度に”…やはりこれが一番のようです。
(4)日本一の“高齢出産”は?
10代の母親も決して珍しくない昨今ですが、いったい女性は、何歳くらいから子供を産めるのでしょう?日本では、明治26年(1893)、9歳の少女が妊娠したという記録があります。しかし、残念ながら死産でした。この少女は3歳から生理があったといいます。子供を産む為には当然
生理がなければなりませんが、現在でも初潮が10〜12歳、閉経が45〜55歳が平均ですから、この少女、発育が早かった様ですね。
一方、対象11年(1922)には、長野県松本市でアサという老女が妊娠して大評判となりました。76歳だったアサさん、26歳の夫をもらったばかりでした。祖母と孫の様な夫婦だった訳です。
最近、不妊に悩む若い夫婦が増えていますが、原因の6割は夫です。タバコ、酒ののみすぎ、睡眠不足、ストレスによる精子減少症の為です。
(5)「初夜権」という風習があった
「初夜権」とは古来よりある風習で、花嫁の身体を新郎より先に抱ける人の権利です。例えば山形県には、結婚式の3日前に仲人が新婦を我が家に泊め、三夜共寝して、式の当日、108個の餅をそえてその新婦を新郎の家へ届けるという慣わしがかつてありました。
和歌山県では、自分の娘が13〜14歳になると、老人に頼んで破瓜はかしてもらうのが通例でした。老人はこの仕事の謝礼として米と酒を桃色のふんどしを受け取る決まりになっていたとか。
また石川県には、娘を嫁に出す前に父親は、村の中のプレイボーイを選んで、自分の娘を試してもらうという風習があったらしい。
大分県へ行くと、毎年8月15日の夜に「ボンボボ」という祭りがみられました。14歳の娘は、この夜、村の長老達と寝るのです。ボンボボに参加しない娘は、穴無しとみなされ、、一生お嫁に行けませんでした。
初夜権の風習はマルコポーロの旅行記にも出てくるほど世界各地にみられます。なぜこんな風習があったのかというと、昔から処女の血は不吉だと考えられていたところにその理由があります。精液が処女の血と混じると、生まれてくる子供が早死ににたり、子孫に危険を及ぼすと信じられていました。
ですから、新婦は新郎と交わる前に、より力のある者に処女の血を流し出してもらう事になっていたようです。新郎はさぞかし悔しかったでしょうね。
破瓜=女子の処女膜の破れる事。
(6)父の違う双子はあり得るか
双子なのに父親が別という例は大変マレですが、げんじつにあります。なぜ、そんなことがありうるのでしょうか。
母親の子宮は二つに分かれており、二つの子宮内の卵子が数時間の間隔で別々に受精するのです。過去にアメリカで白人と黒人の双子を出産した例ががありましたが、一人の女性が数時間の間に二人の男性とセックスし、両方とも受精してしまうと異父兄弟の双子が産まれるということになります。
(7)前張りを貼るのは何係り?
ヤクザ映画全盛の時、東映撮影所でもいよいよポルノ映画らしきものを作ってみようという事になったのですが、何しろ初めての経験なので、色々と問題が生じました。その時、一番論議されたのは、作品そのものについてではなく、女優さんに着ける前張りは、一体どの部署に属する仕事なのか、という事でした。
こう書くと「おれにやらせろ」「いやボクの方が先だ」などと各部署のスタッフの役得の取り合いにとられがちですが、実際は逆でした。
「あれは裸に着けるんだから、衣装部の仕事だろ」と誰かが言うと、衣装部は血相を変え、「何云ってるんだ。前張りはヘアーにつけるだろ。髪を扱うから当然、結髪部の仕事だよ」。すると結髪部いわく「私のところは上の毛と契約していますが、下の毛の方は知りません」。今度は小道具係が押し付けられてしまい、「肌につけるバンソーコウが、どうして小道具扱いなんだ」と、カンカンに怒ってしまったそうです。
よく市役所の窓口なんかへ行くと、これとよく似た光景がみられまうが、責任のなすりあいはお役人ばかりじゃないようです。前張りをする仕事を誰ひとり役得だと考えなかったところが面白い。結局、担当が決まらず、持ち回りでやる事になったそうです。
(8)空中で「昇天」した夫婦
ノーマルなセックスでは物足りず、より刺激的なプレーを求めるカップルが増えているが、空中セックスなるものを試み、本当に昇天してしまった夫婦がいます。
1972年、米・ジョージア州に住むスカイ・ダイバーの夫婦が、数千メートルの空中から飛び降りながら空中でセックスをしてみようという、奇抜な計画を立てました。パラシュートに乗ってフワフワ舞い降りてくる間に優雅なセックスを楽しもうという訳でしたが、どうした訳か肝心のパラシュートは開いてくれませんでした。二人は当然即死。
この事件で人々が驚いたのは、検死の結果、妻の体には明らかに夫を迎え入れた証拠が残っていた事です。つまり、セックスに夢中になる余り、パラシュートを開かせる操作を忘れてしまったという訳です。落下する途中で、なぜか天に昇ってしまったこの夫婦でもきっと、天にも昇る良い気持ちだったのでしょう。
(9)女性がヒゲを…
19世紀の初め、イギリス・マンチェスターのある工場で、ヒゲだらけの顔の女性が働いていました。あまりヒゲが濃いので、周囲のものは誰も女と気付かず、本人も男の名前を名乗っていました。声もきっと男っぽかったのでしょう。
ふとした事から彼女が女性である事が露見し、彼女は詐欺罪で逮捕されました。当時の英国は男尊女卑の社会であって、工場労働者の賃金も女は男の三分の一しか支給されていませんでした。その女性は、夫が病気で倒れたので一家を養うために働きに出たのですが、給料が三分の一ではとうてい食べていけません。
そこで窮余の策としてヒゲをはやして働きに出る事にしたのです。なかなか勇敢な女性だと、むしろ褒められる話です。それを詐欺罪で逮捕するとは、男の方が女々めめしい。
(10)男と女・雑学の雑学
◎ケニアのポルノ映画は、男女のからみ合っているシーンは全部カット。でも男でも女でも、接触なく全てを露出しているのはOKだそうです。「だって、彼ら裸が日常的でしょう。だからなんともないのよ」
◎アインシュタインの相対性理論が日本に紹介された時、当時の若い男女がこの難解至極の理論書を買いに走ったといいます。つまり彼らはこの本を、外国の偉い先生が書いた「あい対する性の理論書」いわく、セックス・ガイドブックと勝手に解釈してしまった結果なのでした。「性」の字がひとつ入っているだけで何やら思い入れてしまった当時の若者は、やはり純情でした。
◎「ロミオとジュリエット」の二人は、数百年前に手を取って天国へ行ってしまいましたが、いまでもキャピュレット家へファンレターを出すとジュリエットから返事が届くそうです。実は。キャピュレット家の屋敷跡をオフィスにして「ジュリエットの代筆業」をしている女性がいるのです。
◎以前に「期限付き交換同棲」という言葉が大学生の間に浸透した事ありました。このスタイル、石川達三の『僕達の失敗』にヒントを得た、というのがもっぱらのウワサ。確かにこの小説は、ある男女の期限付き同棲を扱ったものでした。もちろん交換はしませんでしたが…。
(11)114歳で父になった男
 俳優の上原謙氏が70歳にして父親になりましたが、上には上がいます。
 風俗史研究家の田中磯郎氏によると「シンガポールに住むツァイナーさんという人は、50歳で初めて結婚し、62歳で再婚、107歳で33歳の奥さんと3度目の結婚をし、111歳の時に男の子を、114歳の時に女の子を授かっています」。もしや奥さんが浮気でも?と思ったら「もしツァイナーさんのモノが役に立たないのであれば、浮気はすぐにバレるはず。少なくとも役には立つわけです」。ツァイナーさんが119歳の時に奥さんだ流産したというから、頭が下がります。
 一方、女性では、1985年に結婚60年目にして初出産をなしとげた、アメリカ・インディアナ州の91歳のおばあちゃんが最高齢。ご主人は92歳と伝えられていますが、定かではありません。
 日本では、明治19年1月、京都に住む服部勘兵衛さん(85歳)と妻みとさん(81歳)が最高齢記録。「みとさん5度目の出産にあたり、生まれた男の子は、みとさんの年齢にちなんで“八十一(やそいち)と名付けられたといいます」。