堺の指定文化財菅原神社 |
毎年秋と春に堺の歴史と文化を物語る貴重な文化財を期間限定で公開する『堺文化財特別公開』が実地された。今年で4年目 で10月28日から11月6日まで公開された。 公開場所は22か所で私が訪れた所もあるが、名前は知っているが殆んど訪れた事が無く、少しずつ拝観しようと今回は自宅か らさほど遠くない菅原神社に行った。 ここは地元では『天神さん』とよばれ、南大阪随一の『えべっさん』としても親しまれ戎祭りには何度も来ている。しかし、屋台や 大勢の人だかりで境内をじっくり見た事が無かった。 997年に創建された菅原神社は菅原道真、天穂日命(アメノホヒノミコト)、野見宿祢(ノミノスクネ)を祀っていて、本殿には菅原道真公の ご自作のご神体が鎮座されている。 境内にある1648年頃に建てられた茶室「紅梅軒」や1677年築の随身門などが見どころで、特に随身門は大阪府指定の有形文 化財で府下では数少ない楼門建築だとか。 また毎年6月中旬には日本庭園でホタル観賞会が開かれ多くの見物人を魅了している。 今までは戎祭りの賑やかしい雰囲気しか知らなかったが、こうして普段の静かなたたずまいの菅原神社を訪れるのも趣があり 良いもんだ。 |
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(2011年11月06日) | |
随身門 1652年(慶安5年)に建立。その後、火災に遭ったが焼失を逃れた。1677年(延宝5年)に堺の鉄砲鍛冶、榎並屋勘左衛門の寄 進によって仁王門が造営されたと伝えられている。この随身門 は、1966年(昭和41年)、大阪府の有形文化財に指定されてい る。 門の左右には剣と矢を帯びた高さ1.5mの檜造りの坐像、随身像 が守っている。 |
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本殿と拝殿 創建以来、たび重なる火災によって焼失再建を繰り返し、 現在の本殿と拝殿は、第2次世界大戦で焼失した後に 造営されたもの。本殿は、屋根の片側が前方に延びて、 長い庇になっている「流造り」で、997年に海船の濱に流 れ着いた道真公ご自作のご神体が鎮座されている。拝殿 は、戦火を逃れた金毘羅宮を移築して建てられたもので、 亙にはそれを示す「金」のマーク(丸の中に金の字)が刻 まれている。 |
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常楽殿 常楽殿は、菅原神社創建時の威徳山天神常楽寺にちなんで命 名された建物で、寄棟屋根の上に切妻屋根を重ねた「錣(しころ) 造り」の木造建築。ご祈祷や神前結婚式などに利用される「儀式 殿」には、日本画の巨匠、菅楯彦、真人親子の合作「三十六歌 仙」が飾られている。「祝詞殿」には栴檀の踏板、夫婦節の入った 檜の腰板が張られた、豪壮な造りになっている。昔の応接間にあ たる「帖台の間」の壁や襖は、武家屋敷を思わせる意匠がこらさ れている。 |
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堺戎神社 南大阪随一の「えべっさん」として親しまれ、堺戎神社に 祀られています。 一六六四年(寛文四年)、現在の戎島町付近に突然島が 出現。同六六年、この戎島の海中から、石像が発見され、 威徳山天神常楽寺の塔中であった観月院頼弁法印(かん げついんらいべんほういん)がこれをお祀りし、戎島の近くに 宮祠を造りました。その後、戎之町の事代主神社と合併し、 一九五一年(昭和二六年)、菅原神社の境内に遷りました。 |
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紅梅軒 慶安年間(1648〜1651年)に建てられた茶室。 豊臣秀吉から贈られた八重咲きの摩耶(まや) 紅梅にちなんで命名された。ちなみに、菅原神 社の社紋も「梅鉢」である。 |
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堺薬祖神社 通称「神農さん」(しんのうさん)と呼ばれ、毎年11月23日 にかけて行われる「薬祖祭」には、青竹酒神事(かっぽう ざけしんじ)がおこなわれる。 |
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神牛 この神牛は、開運招福を祈願して奉納された大理石のものです。 菅原神社では、安政年間より神牛をお奉りしており天神様のお生 まれになった年が丑(うし)である為、牛はおつかいとされ、非常 に縁の深い動物である事からお奉りしている。 |
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稲荷神社 | 東大門 |