大浜潮湯(堺市大浜北町)
明治・大正時代から昭和の戦前にかけて、泉州地区で庶民に絶大な人気を誇った娯楽施設で、大浜公園内にあった観光レジャーセンター。
海水を沸かした温泉が売り物で、冬は体が温まり、夏は汗疹あせもに効く…と評判を呼んだ。
訪れる客の多くは「チンチン電車」の愛称で今も親しまれる阪堺線の宿院駅で支線(現在はない)に乗り換え、終点の大浜海岸駅へ。横長の木造二階建てのシャレた洋館が潮湯だった。すぐ裏には海水浴場があった。
開業は大正2年1月。1回は大浴場と喫茶室、二階にはビリヤード場と食堂があった。その後、大浴場と海水場を結ぶ桟橋や家族風呂、テニスコートなどが次々に増設され、昭和3年7月に少女歌劇の劇場がオープンすると、シーズン中の利用客は1日中数万人にも上った。
大浜潮湯を経営していたのは明治43年3月に設立された阪堺電気軌道。現在は南海電気鉄道の子会社になっているが、当時は南海と運賃の割引などで激しい競争を繰り広げたライバル会社でした。
沿線に娯楽施設を造る事でレジャー客を呼び込もうという思惑があり、デベロッパーとして沿線開発に力を入れていました。
大浜潮湯は昭和19年2月、第二次世界大戦の戦況が悪化する中で営業を停止し、海軍に施設を譲り渡し、その役割を終えた。だが大浴場に少女歌劇、食堂というレジャー施設のコンセプトは、戦後、日本中に普及していったヘルスセンターの原点でもあった。公園内には市立水族館もあり、一日ゆっくり過ごせるので大変な人気を博し、当時のリゾート地として繁栄しました。
潮湯のあった場所は今では、公園内の市民広場となり、当時の面影はどこにもない。現在ここでは、毎年夏になると泉州の風物詩「堺大魚夜市」が開かれる。