堺の人物伝-11(下)
堺の歴史を彩る人々
2/6 中島長盛(長守)なかじまながもり元禄7〜宝暦12年(1694〜1762)
堺の人。若い頃から砲術に志し、武衛流・自得流・佐々木流などを学び、堺七堂浜にて試射を
繰り返し、ついに中島流砲術を興した。
2/6 宮尾道三みやおどうさん生没不詳
室町末期の金春流能役者。上源町(現 櫛屋町東)に住む。名人といわれた。後年独立して宮
尾流を称する。利休と親交があり、茶の湯もよくした。
2/6 中小路なかこうじ生没不詳
室町末期の琵琶法師。琉球から伝来した蛇皮線にヒントを得て、三味線を作り出したという。
2/6 沢角検校さわずみけんぎょう生没不詳
江戸初期の平家琵琶の名手。三味線にも堪能で、小町於通の作った「浄瑠璃物語十二段」に
伴奏をつけ、三味線の祖とあおがれた。
2/6 薩摩浄雲さつまじょううん元禄4〜寛文12年(1595〜1672)
堺の人。沢角検校の門人。浄瑠璃物語に独自の曲節をつけて語る。江戸浄瑠璃の祖。浄瑠璃
からは、河東・常盤津・清元・富士松・一中・富本・サ八・新内・青柳・義太夫などの諸流が派生
興隆した。
3/13 竹本春太夫たけもとはるだゆう
堺出身の義太夫の語り手として著名な竹本春太夫は3人いる。初代(延享〜天明)、四代(文
政〜文久)、五代(慶応〜明治)である。他に、初代と三代の竹本咲太夫、四代竹本中太夫、
豊竹嶋太夫、三代豊竹伊勢太夫など、実に多くの太夫が堺から育ち、妙音を聞かせた。
3/13 和田幾太郎わだいくたろう天保14〜大正5年(1843〜1916)
堺神明町生まれ。明治5年、堺県学分校の筆道教授となり、家塾半舎をも開いた。のち錦小学
校長、堺高等小学校長などをつとめた徳望ある教育者である。
3/13 北村左吉きたむらさきち安政元〜大正10年(1854〜1921)
金沢出身。堺に移り、衆議院議員に三選。堺市立商業学校創設に尽力し、明治37年には堺教
育会会長となり、教育界に貢献した。
3/13 土屋弘つちやしろし天保12〜大正15年(1841〜1926)
岸和田生まれ。廃藩後堺県学校教師となり、師範学校長を兼ねた。堺県が大阪府となってか
らは、戎之町に塾を開いて市民教育に尽くした。漢学者としても名高い。
3/13 石割松太郎いしわりまつたろう明治14〜昭和11年(1881〜1936)
堺の柳之町生まれ。早稲田大学卒業後、都新聞、大阪新聞、大阪毎日新聞などに劇評を書い
た。近松門左衛門の研究でも知られる。
4/20 鉛市太郎なまりいちたろう明治16〜昭和26年(1883〜1951)
堺の市之町生まれ。鉛市兵衛の長男。大阪帝国大学工学部長、阪大産業科学研究所長など
となり、わが国応用化学と科学技術教育に大きな功績を残した。
4/20 山家信次やまがしんじ明治20〜昭和29年(1887〜1954)
堺の錦之町生まれ。東京帝国大学工学部火薬科を卒業、高性能の火薬を発明した。京城帝国
大学創設に尽力し、同大学の初代総長となった。
4/20 藤田守ふじたまもる嘉永5〜昭和17年(1852〜1943)
江戸生まれ。堺県学分校教授から熊野尋常小学校校長、府立堺中学校
教諭となり、多くの英才を育てた。
4/20 税所篤さいしょあつし文政10〜明治43年(1827〜1910)
薩摩藩士。明治3年、小河知事の後任として堺県知事になった。教育制度の確立に力を尽くし、
明治14年1月、堺県が廃止されるまで務めている。
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