堺の人物伝-11(中)
堺の歴史を彩る人々
贄正壽にえまさとし寛保元〜寛政7年(1741〜1795)
天明4年(1784)堺奉行となり、天明の飢饉の際、救済に尽力した。また吉川俵右衛門が堺港
の修築を始めた時、「砂持」という労力奉仕を人々に呼びかけ、工事を完成させるなど、民政で
名をあげた。
竹田圓玖たけだえんく天文14〜寛永2年(1545〜1625)
堺の阿佐井野氏の一族に当たる名医。竹田薬師院の院主にもなっている。沢庵和尚に参禅し
て石林と称する一方、歌道にも通じて、肖柏流の古今伝授を受けた。
樫木屋道顕かしきやどうけん応永21〜明応2年(1414〜1492)
堺の富商。浄土真宗に深く心を寄せ、文明2年(1470)、一寺を建立、本堂の落慶供養に蓮如を
迎えた。その後、蓮如のために信証院を建立した。
油屋常言あぶらやじょうげん永禄8(1565)没
室町の末期の堺の豪商。茶人。日F開山の妙国寺は常言が巨財をなげうって創建したもの。
名物油屋肩衝を所持したという。
具足屋次兵衛ぐそくやじへい寛永15年(1638)没
堺の貿易商人。シャム(タイ)に渡航し交易していたが、鎖国令のため帰国できず、そこで没し
た。先年、同地で「考文賢具足君墓」とかかれた墓碑が発見されている。
安達嘉之あだちよしゆき生没不詳
江戸中期の堺商人.寛延元年(1748)、日本初の金魚書『金魚養玩草きんぎょそだてぐさ』を著した。
本書には、金魚の歴史、種類、飼育法などが書かれている。
北村六右衛門きたむらろくえもん正保元〜宝永5年(1644〜1708)
堺の踞尾(津久野)出身。宗教心が厚く、慈善事業に尽くした。また、卓越した土木技術と不屈
の努力で、泉尾新田(大阪市)と伏尾新田(堺市)を開いた。
柳原吉兵衛やなぎはらきちべえ安政5〜昭和20年(1858〜1945)

堺出身。大和川染工所の創設者。陸軍軍服のカーキ色を創案し、
染色に成功した。輸出振興に貢献し、社会福祉事業にも尽力した。
田中銀次郎たなかぎんじろう明治5〜昭和15年(1873〜1940)
岐阜県出身。愛知薬学校卒業後、薬化学を研究、蓄電池やクロロホルムの製造に功績があっ
た。大正7年、現在の堺化学工業を創設、多種の工業薬品を製造、輸出した。
梅鉢安太郎うめばちやすたろう慶応2〜昭和17年(1866〜1942)
堺出身。家業の鍛冶業を継ぎ、後に梅鉢鉄工所を創設して社長となる。車輌や「ダルマ転轍機」
などを製造して、日本の車輌界に大いに貢献した。
西宗茂二にしむねしげじ明治15〜昭和26年(1882〜1951)
広島県出身。大正8年、八社が企業合同で堺に大日本セルロイドを創設した際、常務取締役、
社長となり、輸出振興に多大の貢献をした。
竹本越路太夫(三世)たけもとこしじだゆう慶応元〜大正13年(1865〜1924)

堺出身。豊沢団七門下から、二世越路太夫の門に入り修業をつんだ。
摂津大椽だいでんと共に、当時の浄瑠璃界の双璧として、長く名声をうた
われた。
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