堺の人物伝-10
行政で使命を貫いた人々
小河一敏おごうかずとし文化10〜明治19年(1813〜1886)
豊後竹田の人。慶応4年、大阪府から独立した堺県の初代知事
となった。明治元年、大和川で洪水が起きたことから、独断で県
民の救済に努め、土木事業を起こした。また堺県内で通用する
小礼を発行して庶民の便宜を図った。“公平至誠”の精神で県政
にあたり、県民に慕われたが、明治2年専断の罪で謹慎、一時
免官になった。
八木栄次郎やぎえいじろう嘉永2〜明治42年(1849〜1909)
大阪河内郡丹南村生まれ。堺の区会、市会議員を経て、明治22年向井村長となった。大和川か
ら農業用水を引くための揚水機の設置、南今池の拡張、大和川堤防の強化など、公益事業に力
を注いだ。
山口義一やまぐちぎいち明治21〜昭和14年(1888〜1939)
堺の錦之町で生まれ、東京帝国大学を卒業。大正9年、衆議院議員に当選以来5選。政友会総
務の後、幹事長となり、一生を国政と堺の発展に尽くした。
小林寛治こばやしかんじ明治21〜昭和18年(1888〜1943)
堺の東百舌鳥村生まれ。泉北郡会議長、府会議員、東百舌鳥村長などを歴任。在任中は特に
道路の整備に努め、郡部の開発に貢献した。
富岡次郎とみおかじろう明治3〜昭和20年(1870〜1945)
堺の鳳で生まれ、大阪府農業技師、府会議員、鳳町長、全国町村会副会長などを務めた。
特に農業技術の普及と振興に寄与した。
鈴木貫太郎すずきかんたろう慶応3〜昭和23年(1867〜1948)
海軍軍人。政治家。堺の伏尾の生まれ。昭和20年太平洋戦争最後
の首相として内閣を組織。抗戦か和平かの選択が迫られる中、天皇
と共にポツダム宣言受諾により戦争を収拾した。8月15日、終戦を迎
え総辞職し、引退した。現在伏尾会館に誕生記念碑がある。
前のページに戻る
愛netコミュニティあいらぶ堺 メール