あいらぶ堺 ヒストリー |
時代 | 西暦 | |
旧石器 | 南花田遺跡で石器が多数出土 | |
縄文時代 | 四ツ池・草部などの遺跡から縄文時代の石器・土器が出土 | |
弥生時代 | 四ツ池遺跡から土器・竪穴住居跡などが出土。集落、生活の跡 浜寺昭和町・下田町・高尾・家原寺町・陶器北から銅鐸が出土 |
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古墳時代 | 仁徳天皇陵・履中天皇陵などの古墳が造られる 陶邑(すえむら)で須恵器が盛んに作られる |
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飛鳥・白鳳時代 | 646 704 |
堺は摂津と河内の国に属す 行基が生家を改めて家原寺を開く |
奈良時代 | 740 757 759 |
大鳥・和泉・日根郡を河内の国に合併 大鳥・和泉・日根郡をもって和泉の国をおく 大野寺土塔が出来る |
平安時代 | 859 935 1045 |
和泉と河内の民が陶器山で薪を争う 紀貫之の『土佐日記』に「いしづ」の名がみられる この年までに藤原定頼の歌集に「さか井」の名がみられる |
鎌倉時代 | (中期) 1325 |
桜井神社の拝殿(国宝)が出来る 堺北荘、最勝光院領と記される |
南北朝時代 | 1336 | 堺北荘が住吉社領である事を認める 後醍醐天皇の綸旨が出る |
室町時代 | 1399 1469 |
足利義満が堺の大内義弘を攻める 堺の民家一万戸が焼けたと伝える 明から帰った勘合船が寄港。以後、遣明船の発着港となり貿易の実権握る |
戦国時代 | 1476 1550 1564 1568 |
堺商人の遣明船が出発する。 このころ、会合衆が自治を行う 宣教師フランシスコ=ザビエルが堺に来る 宣教師ルイス=フロイスが堺に来る 織田信長に課せられた軍用金に会合衆は拒否するも、ついに屈服 |
安土桃山時代 | 1577 1586 1591 1594 1600 |
織田信長、堺を視察する 豊臣秀吉により環濠の堀が埋められる 茶道の千利休、自殺 納屋助左衛門、ルソン島から唐物を持ち帰り秀吉に献上 徳川家康、堺に奉行所を置く オランダ船リーフデ号が堺に来る |
江戸時代 | 1604 1615 1704 1810 |
堺商人が糸割符年寄りに任ぜられ、朱印船が許される 大阪夏の陣で堺も焼ける 新大和川の付け替え工事完成 堺港が造りかえられる(現堺旧港 |
明治時代 | 1868 1868 1876 1877 1881 1885 1889 1895 |
土佐藩とフランス兵が衝突(堺事件) 堺県が創設される 南宗寺境内で堺博覧会 大浜に木製様式灯台が造られる 堺県が大阪府に合併される 初の民間鉄道として阪堺鉄道(現南海線)の難波(大阪)−大和川間が開通 市制施行。初の市会が宿院小学校で開かれる 摂津、河内、和泉の三つの国境に発達した都市という意味で、市の字を 三つ組み合わせた市章が制定される ![]() |
大正時代 | 1903 1912 1913 1920 1922 |
大浜に水族館ができる 阪堺軌道(現阪堺線)が全通する 大浜潮湯が開業し、少女歌劇でにぎわう 第一回国勢調査(堺の人口 84,995人) 民間航空として初めて、堺〜四国間で初の民間航空が始まる |
昭和時代 | 1929 | 阪和鉄道(現阪和線)の天王寺−和泉府中間が開通する |
1934 | 室戸台風で大被害をうける | |
1944 | 大浜潮湯・水族館閉鎖 現市庁舎東館完成 | |
1945 | 空襲により旧市域の大半が焼ける | |
1947 | 民主化の新制度による市長・議員選挙 | |
1958 | 堺臨海工業地帯の造成開始 | |
1966 | 泉北ニュータウン起工 | |
1967 | バークレー市と姉妹都市になる | |
1974 | 堺まつりが始まる | |
1977 | 泉北高速鉄道の中百舌鳥−光明池間が全通する | |
1979 | 市制90年を迎える | |
1980 | 堺市博物館・堺市茶室が完成 | |
1983 | 連雲港市と友好都市になる | |
1987 | (財)南大阪地域地場産業振興センターオープン | |
1987 | 地下鉄御堂筋線、中百舌鳥まで延伸 | |
平成時代 | 1989 | 市制100年。「オランダフェスティバル'89大阪(ダッハらんど)開催 」 |
1991 | 堺市役所高層館が完成(21階) | |
1995 | ウェリントン市と姉妹都市になる | |
1996 | 4月に中核市に昇格。全国で最大規模となる | |
2005 | 2月1日に美原町と合併 | |
2006 | 4月1日に政令指定都市へ移行 区制(堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区)施行 |
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令和時代 | 2019 | 大阪府で初めて「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産委員会に登録された |
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編 入 合 併 等 の 内
容
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堺県 | 1877(M10) | 堺県は合併を繰り返し、最も大きな時は、現在の大阪府東・南部と奈良県 のほぼ全域を含む広さでした |
市制 | 1889(M22) | 4月1日に市制施行 |
第1次
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1894(M27) | 2月10日に大鳥郡向井村大字七道編入 |
第2次
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1920(T9) | 4月1日に泉北郡向井町・湊町編入 |
第3次
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1925(T14) | 10月1日に泉北郡舳松村編入 |
第4次
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1926(T15) | 10月1日に泉北郡三宝村編入 |
第5次
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1938(S13) | 2月11日に泉北郡神石村編入 |
第6次
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1938(S13) | 9月1日に泉北郡五箇荘村・百舌鳥村、南河内郡金岡村編入 |
第7次
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1942(S17) | 7月1日に泉北郡浜寺町・鳳町・踞尾村・八田荘村・深井村・東百舌鳥村編入 |
第8次
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1957(S32) | 10月15日に南河内郡北八下村編入(松原市に帰属した一部を除く) |
第9次
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1958(S33) | 7月1日に南河内郡南八下村編入(美原町に帰属した一部を除く) |
第10次
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1958(S33) | 10月20日に南河内郡)置荘町編入 |
第11次
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1959(S34) | 5月3日に泉北郡泉ヶ丘町編入 (35.34km2) |
第12次
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1961(S36) | 3月1日に泉北郡福泉町編入 (19.84km2) |
第13次
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1962(S37) | 4月1日に南河内郡登美丘町編入( 4.61km2) |
第14次 | 2006(H18) | 4月1日に南河内郡美原町合併(13.20km2) |