あいらぶ堺 伝統産業 |
日本で最初に製造 された堺線香 |
わが国で始めて線香が製造されたのは、天正年間 (16世紀)と云われている。その頃、堺は自由都市と して栄え、線香の原料も取り引きされた。 奈良、京都への地理的な利便とともに、堺もまた「泉 南仏国」と云われる程、寺院が多く、自然に線香の 使用、製造の中心地になったと思われる。 |
煙草包丁と堺刃物 | 16世紀ポルトガルよりタバコが伝来し、国内でタバ コの葉が栽培されるようになり、その葉を刻む包丁 が必要となって、堺で初めてタバコ包丁の製造がな された。 輸入品を凌ぐ品質を持った堺の包丁は、江戸時代 に「堺極」という印を入れて幕府専売となり全国に広 まった。これが堺刃物のルーツです。 昭和57年に、「堺打刃物」は通産省の伝統工芸品 に指定されている。 |
石津川と 和ざらし・ゆかた |
石津川を利用して、さらし業が起こったのは、今から 約350年前の事。これは、泉州特産の綿織物が大 阪の問屋へ流れる流通経路の中間に位置していた 事と、石津川という天然の恵みがあった為。一方、 堺のゆかた染めの主流である注染法(手染め)は、天 保年間(19世紀)に開発された技法といわれている。 |
コンブ・ロードと 堺の昆布 |
北海道で採れたコンブは、日本海岸の敦賀、小浜、 更に大分、尾道を経由して大阪・堺に到達した。元 禄年間から加工業が発達し、大正から昭和15年頃 にかけてのピーク時には約150軒の業者が集まって 一大産地となった。 「おぼろ」「とろろ」が主力であるが、今では塩昆布、 おやつ昆布など多様な商品が生産されている。 |
堺式手織段通と 敷物 |
天保年間(19世紀)に真田紐製造から転じた堺式手 織段通が起源である。明治10年(1877)、第1回内国 勧業博覧会に出品されて、堺段通の名声が高まる と共に、外国貿易商館を通じてアメリカや西欧各国 への輸出が盛んになった。現在、これを母体として 多彩な敷物が製造されている。 |
鉄砲と 堺の自転車 |
日本に始めて自転車が入ってきたのは慶応年間(19 世紀)とされている。明治の30年代には時間制で自 転車を貸し出す所も出始めて、急速に普及しはじめ た。まず部品の修繕が必要となって、これに携わっ たのが、当時、機械金属に最も知識と経験を持って いた鉄砲鍛冶達であった。 わが国で自転車産業が確立された第一次世界大戦 後、堺も一大産地として発展し、今では堺製の部品 がなければ日本の自転車産業は成り立たないと云 われる。「ミスターサカイ」をはじめとするオリジナル ブランドも共同生産されている。 |
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