阿波の昔ばなし

■ ネズミ経(美馬郡)(3/15)
 むかしむかし、あるところに、たいそう信心深いおばあさんが住んでおっ
たそうな。おばあさんは、毎日毎日寺へ行っては、和尚さんにお経を教え
てもらっては、帰ってそのお経をおがんでおった。
 ある日のこと、いつものようにお寺へ行くと、和尚さんが「今日は、いつも
よりありがたいお経を教えてあげよう」と言うので、おばあさんはじっと耳を
すましておったんじゃと。
 しかし、どうしたことか、その日にかぎって、和尚さんはそのお経を忘れ
てしもうて、どうにも思い出せん。
 その時、壁のすみからネズミが一匹、チョロチョロと出て来たので、和尚
さんは、とっさに「おんちょろちょろ、出てこられそろ」と言うたんじゃと。
 次に、ネズミが仏さんの間からこっちをのぞいておったので「おんちょろち
ょろ、のぞきもうされそ」と言うたそうな。
 そのネズミが走り回って、かねたたきのバチを倒してしまったので、「おん
ちょろちょろ、ばちあたりそ」と言うたそうな。
 それでもネズミが、あちらこちらと走り回るので、和尚さんは怒って「おん
ちょろちょろ、つかまえそろ、にがしゃせんぞ」と叫んだそうな。
 何も知らないおばあさんは、これはいつもよりありがたいお経じゃ、と思い、
唱えながら家へ帰っていったそうな。
 その夜のこと、おばあさんの家に泥棒が入ったんじゃけど、眠っておると
ばかり思っていたおばあさんが「おんちょろちょろ、出てこられそ」と言うたも
んでビックリしてしもうたそうな。
 泥棒が様子をうかがおうと、障子の穴からのぞいてみると、今度は「おん
ちょろちょろ、のぞきもうされそ」と言う。
 すっかりおどろいた泥棒は、おばあさんをしばろうと思ったのじゃが「おん
ちょろちょろ、ばちあたりそ」と言うのでそれもできなんだ。
 するとすぐに「おんちょろちょろ、つかまえそろ、にがしゃせんぞ」と叫ぶ声
が聞こえたもんじゃから、泥棒はおそろしくなり、何も取らずに、いちもくさん
に逃げ帰ったということじゃ。
■ 猿が淵ふち(美馬郡)
 むかしむかし、鍋倉谷は、毎年ひどい水害におそわれて、百姓たちは
みんな困っておった。今年もまた田んぼは台無しじゃった。
 五平が水害でやられた田んぼを眺めて、やっぱり、谷に堤防をつくらに
ゃ、毎年同じこった、と考えていると、ひょっこりと大きなサルが現れた。
五平は、大ザルの方を見ながら、なんの気なしに「お前さんがこの谷に堤
防をつくってくれたなら、わしの娘を嫁さんにやってもええのになぁ」と言っ
たそうじゃ。
 大ザルは五平の話を聞いて、目をパチクリとしておったが、もう一度、五
平の顔を見て、急いで山へ帰って行った。
 五平は、まさかサルに堤防がつくれる訳もなかろう、と思って家へ帰っ
て行った。
 次の日の朝、村人達が騒々しいので表へ出てみると、みんなが口々に
「サルがたくさん谷へ集まって何かしておるぞ、みんな行ってみよう」と叫
んでおった。
 五平は、まさか、と思ったが、谷へ行ってよく見ると、あの大ザルを先頭
に、何百、何千というサルたちが、石や土を運んで堤防をつくっておるでは
ないか。
 いや、いや、サルに堤防が出来る訳がない、と、それでも五平は思って
おったが、ほんの数十日でサルたちは堤防をつくってしもうたそうじゃ。五
平をのぞいて、他の百姓たちは大喜びじゃった。
 堤防が出来て3日ののち、大ザルが五平のところへ現れて「約束どおり
娘をもらいに来た」と言ったのだが、五平は困ってしまい、とっさに「仕方が
ない、約束は守るが、あと3日だけ待っとくれ、こちらも準備があるから」と
言うて、その日は大ザルを山へ返したのじゃそうな。
 五平は決心をし、1番上の娘に「大ザルの嫁になっとくれ」と頼んだが、
娘は泣きながら、いやじゃと言うばかりだったそうな。
 2番目の娘も同じだったと。
 五平は末の娘に、半分あきらめて話をすると、末の娘は「村のためなら」
と大ザルの嫁さんになることを承知したそうな。
 約束の日、末の娘は大ザルの背にしょった大きな水がめの中へ入れら
れて、山道を登っておった。
 娘は喉がかわいたので、途中の池でおろしてもらい水を飲もうとした時、
かんざしが池の中へ落ちてしもうた。「かんざしが…」と言うと、大ザルは
池に飛び込んで、かんざしを取ろうとしたのだが、大きな水がめを背負っ
ておったので、二度と浮かんではこなんだということじゃ。
 それからは、このあたりを猿が淵と呼ぶようになったんじゃと。
■ みそ買い橋(美馬郡)
 むかしむかし、沢上村に長兵衛という炭焼きがおった。長兵衛の焼く炭
は見事な炭じゃったので、次から次から注文があって、休むヒマのない
程の大忙しじゃった。
 ある日のこと、長兵衛の夢の中に白いひげをはやした年寄りが出てきて
「これ、長兵衛お前は働き者じゃからよいことを教えてやろう。ええか、上
町に行ってみそ買い橋という橋を見つけて、その上に立っておればよい話
を聞かれるであろう」と言うと、すぐに消えてしもうたそうな。
 次の日の朝、長兵衛は喜びいさんで上町へ行って、みそ買い橋を探し
て、一日中、その上に立っておった。しかし、誰も話しかけてはこなんだ。
 次の日も、朝早くからみそ買い橋の上に立っておったが、やっぱり、誰
一人として話しかけてくる者はおらなんだそうじゃ。
 それでも長兵衛は、次の日も橋の上に立っておった。
 その日の昼すぎ、橋のたもとにあるとうふ屋の主人がやってきて「お前
さん、この頃、毎日橋の上に立っておいでじゃが、何ぞあるのかね」と聞く
ので、長兵衛は夢の話をすると、主人は「あほらしい、嘘にきまっとる。わ
しも前に、沢上村の長兵衛という家の杉の根元に宝がうまっとる、と年寄
りが言うた夢を見たが、あほらしうて見に行く気もおこらなんだ」と言った。
 長兵衛はこの話を聞いて、これが「よい話だ」と思って急いで帰って杉の
根元を掘ったそうな。そこからは大判小判がザクザク出てきてな、小金持
ちになったというお話じゃ。
■ 阿波のタヌキ合戦(徳島市)
 昔のこと、小松島の日開野ひがいのというところに、大和屋という染物屋
があったそうな。しかし、どうしたわけか、あまい繁盛はしておらなんだ。
 ある日のこと、店の若い者がタヌキをつかまえて、タヌキ汁にして食って
しまおう、と相談しているところへ、主人の茂右衛門もうえもんがが通りか
かり、そのタヌキを逃がしてやったことがあったそうな。
 そんなある日、逃がしてやったタヌキが小僧の格好をして、茂右衛門の
前に姿を現して「先日はありがとうございました。命を助けていただいた
恩は一生忘れません。その恩返しとして働かせて下さい」というので、茂
右衛門は喜んで許したそうな。
 このタヌキは、金長きんちょうダヌキという名前で、それはもう、一生懸命
によく働き、染め物も立派にしてあげるので、大和屋は阿波一の染物屋に
なったそうじゃ。
 茂右衛門は、金長ダヌキのおかげで店が繁盛したので、庭にほこらを建
てて、おまつりして、正一位しょういちいの旗を立ててやろうとしたんじゃと。
 ところで、タヌキの世界にも色々決まりがあって、正一位の旗は、タヌキ
の総大将のところで修行をしなければ立ててはならないことになっておっ
たそうじゃ。そこで金長ダヌキは、タヌキの総大将、津田のロク右衛門ダヌ
キのところへ修行に出かけたんだそうな。
 六右衛門のところでも、金長は懸命に修行に励んだので、六右衛門ダ
ヌキは金長ダヌキのことがすっかり気に入ってしまった。「なあ、金長よ。
ワシの娘の婿になって、総大将の後を継いでくれんか」と六右衛門ダヌキ
が聞いたんだが、金長ダヌキは「それはありがたいお話です。ですが、大
和屋の主人は私の命の恩人です。大和屋から離れるわけにはまいりま
せん」と答えたのだそうな。
 今まで、何でも自分の思い通りになっていた総大将の六右衛門ダヌキ
は、若い金長ダヌキに断られたので腹を立てて、金長ダヌキを責めたんじ
ゃそうな。
 これがきっかけで阿波のタヌキは、総大将六右衛門と、若くて力のある
金長ダヌキの二派ふたはに分かれて合戦をしたそうじゃ。
 この合戦で、六右衛門ダヌキを金長ダヌキも死んでしもうたので、残った
タヌキ達は話し合って、仲良く暮らすようにしたんだと。
 これが阿波のタヌキ合戦のお話じゃ。
■ 千三つせんみつ爺さんの遺言(徳島市)
 むかし、むかし、あるところに、千三つ爺さんという、たいへんなうそつき
爺さんがおったそうな。なんで千三つ爺さんというのかというと、千の事を
云うたらそのうち三つぐらいまでが本当の話で、あとは全部うそばっかし
だったそうな。そんな爺さんじゃったから、家の者も近所の者も誰も爺さん
の話など信用はしとらなんだそうじゃ。
 そんな爺さんも年には勝てんでな、とうとう死ぬ間際になったんじゃそう
な。
 やっぱり死ぬ間際になると、家の者も親類の者を気の毒に思うて、爺さ
んのそばへ座って、はげましておったそうな。そんな時じゃった、爺さんは
みんなに云うたのは。
「わしは、もうまもなく死んでしまう。そんで、遺言を云うておくぞ。今まで
みんなにはうそばっかり云うてすまなんだ。しかし、死に際に云う事じゃか
ら信用しとくれ。これは本当の話じゃ。よいな。わしが死んで十年たったそ
の日に、この部屋の床の下を掘ってみるがええ。つぼが出てくる。そのつ
ぼの中には宝物が入っておるが、それはみんなで分けてくれや。じゃが
十年たたんといかんぞ」
「それは、ほんまの話じゃな」とみんなが聞くと「ほんまじゃ、ほんまの話
じゃ」と何度も云うので、なんぼうそつき爺さんでも死ぬ時は、やっぱりほ
んまの事を云うもんじゃ、とみんなは信用したんだそうな。
 さあて、それからちょうど十年目。みんなが集まっておった。
「あの爺さんの話、ほんまにほんまじゃろか」「いや、いや、なんぼうそつ
き爺さんでも、死ぬ時、今までのうそをあやまっておったし、やっぱりほん
まじゃろう」
 いろんな事を云うておったんじゃが、とにかく、うそかまことか、床下を掘
ってみよう、という事になった。
 みんなで、そろしそろりと床下の土を掘っていると、ほんまにつぼが出て
きた。
「ほんまじゃ、ほんまじゃ。やっぱりうそつき爺さんも死ぬ間際にはほんま
の話をしておったんじゃなあ。わしらは、ちょっとでも疑ってみて、爺さんに
悪い事をした」
「おい、おい、どんな宝が入っているのか、はようつぼのフタをあけよう」
「よっしゃ」と云って、その家の息子が喜び勇んでつぼのふたをあけた。
「どれどれ、どんな宝物が入っとる」とのぞきこんだが、つぼの中には何も
入っておらん。息子がつぼを逆さにすると、一枚の紙切れが落ちてきた。
その紙切れには、
「おまえら、やっぱりあほうじゃったな。みんなうそにきまっておるに」爺さ
んの字でそう書いてあったそうじゃ。
 宝なんぞアテにせんと毎日、働かないかんで、という事やろうか。
■ ぐずやん(徳島市)
 むかし、むかし、あるところにぐずやんという男がおったそうな。あるお
年のこと、おっとうが死んだので、おっかあは、ぐずやんに
「ぐずやん、おっとうの法事をするんで、ぼんさんの所へ行って来てもらう
ように云うてくれ」と云ったそうな。すると、ぐずやんは
「おっかあ、ぼんさんというのは、どんなかっこうをして、どこにおるのじゃ」
と聞いたそうな。
「ぼんさんはなあ、黒い着物着て、高い所へおいでになるで、すぐわかる」
とおっかあが云うたので、ぐずやんはぼんさんを探しに出かけたんじゃと。
 しばらく歩いていると、高い木の上にカラスがとまっておった。ぐずやん
は、おっかあのいうた事を思い出して、これがぼんさんじゃと思うた。
「ぼんさん、ぼんさん、おっとうの法事するから来てくれんか」とぐずやんが
云うと、カラスは「カア、カア」とないた。「おっかあの法事じゃない、おっと
うの法事じゃ、はよう来てくれ」、「カア、カア」
 ぐずやんが何度頼んでも「カア、カア」としか返事をしないので、家へ帰っ
てその事をおっかあに話すと、「それは、カラスじゃ、ぼんさんは家の中に
いらっしゃる、もう一度行ってきておくれ」とおっかあが云うので、ぐずやん
は再び出かけたそうな。
 しばらく行くと牛小屋があって、中に黒牛がおったそうな。ぐずやんは、
これがぼんさんじゃと思うて「ぼんさん、ぼんさん、おっとうの法事じゃ、来
てくれ」と云うたんじゃが「モウ、モウ」としか云わん。「モウ、モウ、ばっか
り云わんと、はよう来てくれ」
 何べん云うても「モウ、モウ」としか返事しないので、その事をおっかあに
話すと、「それは牛じゃ、ほんまにしょうのない子じゃ、ほんならおっかあが
ぼんさんのところへ行って来るで、おまえは今、炊いとるご飯が焦げんよう
に見とってくれよ」と云うて、おっかあはぼんさんの所へ出かけたそうな。
 ぐずやんがかまどの前に座っていると、ごはんが「ぐず、ぐず、ぐず」と云
うて炊けてきた。
 ぐずやんが「なんじゃ、わしの名前をよんで、なんぞ用があるんかい、ど
んな用じゃ」云うても、「ぐず、ぐず、ぐず」云うだけじゃった。
 ぐずやんは、とうとう怒ってしもうて、かまどの灰を釜の中へほうりこんで
しもうたんじゃと。
 おっかあが帰ってきて、「ぐずやん、ご飯は炊けたかいのう」と聞くと、ぐ
ずやんは「ぐず、ぐず、ぐず、云うて、人の名前を呼び捨てにしよるんで、こ
らしめてやろうと思って、かまどの灰を入れてやったら、ぐず、ぐず、ぐず、
云わんようになった」と答えたそうな。
 おっかあは、あっけにとられて、それ以上、何も云う気もおこらなんだそう
じゃ。ぐずやんは、それでも立派な大人になったなれたという事じゃ。
■ 負っぱしょ(おぶってくれ)いし(徳島市)
 むかしむかし、辺あたりもとっぷり暮れてしまった暗い道を、一人の若
者が歩いておったそうな。しばらく歩いていると、どこからともなく「負っ
ぱしょ、負っぱしょ」という子供の声が聞こえてくるではないか。
 若者が立ち止まって、、辺りを見ても、子供どころか誰一人いない。
若者は、気のせいだったのか、と思って歩き始めると、また「負っぱし
ょ、負っぱしょ」という子供の声が聞こえてくる。
 若者がその声のする方を見ると、そこには、まだ新しい墓があって、
その墓石から声が出ているようであった。若者は恐ろしくなって、いち
もくさんに逃げ出したそうな。
 その話を聞いた、相撲取りの朝日岩は「石がものを言うはずがない。
ワシがためしてやる」と言うて、次の日の夜、その墓のところへ出かけ
たそうな。
 朝日岩の耳にも、確かに「負っぱしょ、負っぱしょ」という声が聞こえて
きた。そこで、朝日岩は「そんなにおぶって欲しいのならおぶってやる」
と言って、墓石をおぶったんだそうな。
 おぶった墓石は、最初は軽かったんだが、だんだん重くなってきた。
 朝日岩は、「これはタヌキのせいかもしれん」と思って、どうっと墓石を
投げ出した。すると墓石は、真ん中で二つに割れてしまったそうじゃ。
 それからは、二度と「負っぱしょ、負っぱしょ」という声は聞こえんよう
になったということじゃ。
 それにしても、ほんとうにタヌキのせいじゃったんだろうか。
 今でも、なみだ町の町外れにこの墓石は残っておるそうじゃ。
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