1分間スピーチの話しのタネ
○稲穂に学べ!実るほど頭は低くなる!
★自分の「顔」に自信を持っているか
 朝、電車の中で色々な顔に出会います。眠そうな顔、疲れている顔、悩み事を抱えた顔などです。しばらくして、女子学生が乗り込んでくると、車内は急に賑やかになります。彼女達の声を迷惑そうににらむ大人もいます。
 確かに何かを考え事をしている人にとっては、彼女達の声は耳ざわりかもしれません。しかし、彼女達の表情を見て下さい。彼女達の屈託のない笑顔は仏頂面の大人達よりもはるかに周囲の人々に好感を与えている事でしょう。
 どんな理由にせよ、気難しい顔をしてはなりません。悩みを顔に出しても誰も喜びません。相手に好感を与えたいなら、彼女達の笑顔に学ぶべきです。気難しい顔ばかりしていると、人は寄りつかずに離れていきます。朝、色々な人の顔をよく観察して、自分の笑顔作りに大いに役立ててみる事が必要です。
★人を楽しませ、いい気持ちにさせる才覚
 ユーモアのある会話は人を楽しくさせます。人は本質的に笑う事が好きなのでしょう。自分を笑わせてくれる人に対して悪感情を持つ人はいません。従って、ユーモアのセンス豊かな人のもとには沢山の人が集まってくるのです。
 人を泣かせるよりも人を笑わす方が難しいという声をよく耳にします。確かにその通りだと思います。ビジネスマンは人を笑わせるのが商売ではありませんが、ビジネスマンが相手にするのは人間です。相手を楽しませる事は人間関係の確立、維持の為には大切な事なのです。
 気難しそうな表情を見せては人は離れていく一方です。無理に人を笑わせる必要はありませんが、常に相手を楽しませ、いい気持ちにさせる、という意識は持つべきです。1日が楽しく愉快に送れるに違いありません。
★短期は損気、怒りは敵と思え!
 「俺の欠点は気が短いという事かなあ。この欠点が無ければ、もう少し人間関係もうまくいくだろうに。年をとると人は丸くなるというけど、俺もそうなれるだろうか」
 気が短いという自分の欠点はよく分かっているようです。しかし、確かに年をとると丸くなるといいますが、一体何年待つつもりなのでしょうか。その時まで相手に我慢しろと言うつもりなのでしょうか。
 性格の改善は容易な事ではありませんが、やればできるのです。できっこないと諦めて放っておけば、今のまま変わる事はないでしょう。
 折角、自分の欠点に気づいているのですから、次の段階に足を踏み出すべきです。自分で意識して欠点の矯正に努めるのです。常日頃から意識して自分の感情をコントロールする事です。
★なぜ仕事を楽しめる者だけが勝利の美酒に酔えるのか?
 楽しそうに働いている人を見てうらやみ、自分が如何に苦労しているかを強調し嘆く人がいます。今の状態から逃れる為に、転職や独立を考える人もいる様です。楽しそうに仕事をしている人と同一の環境を希望する人もいます。
 しかし、楽しいかどうかは個人の問題です。人が楽しそうに仕事をしているからといって、誰がやっても楽しいというわけではありません。どんなに魅力ある楽しそうな仕事に見えても、当人が楽しいと思えなければ、楽しい仕事ではないのです。
 どんな事でも楽しいと思える人は何をやっても楽しいものですし、逆に何もかも面白くないと言う人は何をやっても楽しくありません。現状の仕事がつまらないとか苦しいとか嘆く前に、目前の仕事に興味を持ち、喜びを見い出すよう心がけるべきです。楽しいと思えば、苦労も喜びと変わるのです。
★幸福はやってくるものではない、見い出すものである
 人は他人の幸せには敏感ですが、自分の幸せにはなかなか気づかないようです。どうも人は、幸せを自分の内に求めるよりも、自分の外に求める傾向が強いようです。自分の今の幸せを認識せず、他人の幸せにばかり目を向けてしまいがちなのです。
 例えば、働ける事は幸せな事です。しかし、その事に幸せを感じている人は多くありません。当たり前と捉えて、何ら疑問を感じないのです。
 しかし、そういう人も、一度病気で働けなくなったり会社がつぶれて失業してしまったりすると、働ける幸せを思い知らされるのです。
 今ある幸せに感謝できなければ、永久に幸せを感じる事はできません。幸せを見ようともしないで、不満を並べたり不足を訴えようとしても、今ある幸せを失うだけです。今ある幸せに感謝して生きてこそ新しい意欲が湧いてくるのです。
★自分が思っている以上に、人はあなたをみている!
 自分が考えている以上に、他人は自分の事をよく見ているものです。誰も見ていないからといって姿勢を崩そうとする油断が後で命取りとなる事もあります。その場は何とかしのげても、早番メッキははがれてしまいます。
 待ち合わせの約束をして、煙草を吸いながら待っている人がいます。彼の足元は吸殻だらけです。商談の時、いつも煙草を控えている彼ですが、それも足元の吸殻の山を見られればおしまいです。煙草を吸うのにも時と場所を誤ってはなりません。
 折角の努力もふとした油断がもとで水の泡となってしまいかねません。自分は常に誰かに見られていると思って、自らの行動や姿勢に十分注意を払い、自らを厳しく律していかねばなりません。いついかなる時も、誰に見られても恥ずかしくない姿勢を保ち、ビジネスチャンスに備えるよう心がける事が大切です。
★他人の声に耳を傾ける謙虚さを持っているか
 自分に完璧を望む事は無理です。自分では気づかない事も沢山あります。ところが、自分の正しさばかり強調し、他人の声にいっさい耳を傾けようとしない人がいます。これでは成長もなく、信頼される事もありません。 
 「あんな奴に意見される覚えはない。一体何様のつもりだ」
 仲間に注意されて立腹の様子です。しかし、仲間のほうは、罵声が返ってくるのでは、もう二度と声などかけるか、という気になってしまいます。
 いかに優秀な人といえども、ミスは犯します。その間違いを指摘してくれる仲間の存在に腹を立て、無視するという事は、自分で自分のミスを後生大事に抱えてしまう事になるのです。意見をしてくれる仲間の存在に感謝して、その声に素直に耳を傾けていくよう心がけ、欠点は素直に改めるべきです。
★黙々と仕事を続けよ―いつの間にか「自分の価値」が上がっている
 他人が失敗した時、その原因が自分にあるという人はあまりいませんが、他人の成功について、自分にも功績があると、他人の功績に便乗しようとする人は少なくないようです。なかには、他人の成功をねたみ、横取りされたと腹を立てる人もいるようです。
「彼の成功の道を開いたのは俺だ。あの成果は俺の努力によるものだ」
 陰で自分の功績を同僚に強調して認めさせようとしているのです。彼の言う事が事実であっても、口に出して言うべきではありません。同僚の目には自分の姿が見苦しく映るだけです。自分に対する信頼を壊してしまう結果になるのです。
 誰が成功したっていいではありませんか。自分は自分のやるべき事をやればそれでいいのです。つまらない功名心は自分の価値を下げるだけです。黙って自分のやるべき仕事に挑めば、それでこそ自分の価値は上がるのです。
★肩書きのカラを破り、それ以上の仕事をしているか
「ボクは係長ですから、係長以上の事は遠慮します」と云って、係長という肩書きのカラに閉じこもって、首だけ出している人がいます。
 かと思うと、係長なのに、「課長、私がやっておきますよ。課長はもっと上の立場で見ていて下さい」とどんどん課長の仕事をやってのける人もいます。「彼は係長では惜しいね。次の人事異動では課長だね」と上司から認められています。
 肩書きにこだわらず、その肩書きをフルに活用してどんどん仕事をやる事です。人間が光を放ってくれば、肩書きはあとから追っかけてきます。大事な事は、自分の持っている人格を大いに磨いていく事です。ヒューマン・パワーが満ちてくれば、肩書きは後から追っかけてきます。人間性豊かな人格を磨いていけば、周りの人の見る目が違ってきます。信頼感をまわりに植えつけるのです。
★“見逃しの三振”をする人には二度と打席は回ってこない
 人には数多くの出会いのチャンスが用意されています。『方丈記』の中に「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という有名な一説がありますが、出会いのチャンスもこれと同様に、生まれては消え生まれては消えという繰り返しです。つまり、今のこのチャンスは生涯二度とないチャンスなのです。
 チャンスに気づいたらそのチャンスに積極的に挑むべきです。チャンスを見送るような事はしてはなりません。「別に今じゃなくてもチャンスはあるだろう」などと考えたりしてはならないのです。
 チャンスがあったのに見送ってしまって、後になって後悔するというケースも少なくありません。そうならない為にも、見つけたチャンスは一生に一度きりのチャンスと思って積極的に挑み、全力でそのチャンスを活かすべきなのです。
★聞く耳を持つ「出る杭」は打たれない
 日本の外交姿勢についての批判が新聞、雑誌などで取り沙汰されています。様子を伺う日和見主義に批判が集中している様です。この傾向は日本中、至るところで見受けられます。協調を重んじるあまりに、突出する事を恐れるのです。
「上司ににらまれたら損だ」という意識から、上司の言う事に決して逆らわず、また自分だけ目立った行動は慎もうとしている人がいます。いいアイデアが浮かんでも、周囲の人々の反応を恐れて自らを殺してしまう人もいる様です。
 この様な考え方は、個人にとっても、また企業にとっても大きなマイナスです。協調は絶対的服従ではないのです。
 上司ににらまれようが他人から批判されようが、そんな事は恐れずに、自分の信ずる道を胸を張って堂々と歩んでいくべきです。新たな道をつくるのは自分なのですから。
★試練を肥やしにするから大輪の花も咲く
 人は様々な困難に直面し、悩みます。会社の倒産、失業、病気、ケガ、災害など。中には、絶望感に、生きる力を失ってしまったりする人もいます。
 確かに大きな困難に直面すると苦痛を感じるでしょう。「どうして俺だけが」と嘆きたくなる気持ちもわかりますが、クヨクヨしていられません。
 困難は人を大きくします。人は困難を一つひとつ乗り越えていく事によって、人としてあるべき姿に近づけるのです。困難は他の人が気づかない様な数多くの事を教えてくれます。この教えは経験した者でなければわかりません。
 こうして考えてみるのと、困難は決してマイナスばかりではありません。失業した、入院した、と嘆く必要はないのです。この困難が自分の将来の基礎となるのだと認識して、希望と勇気を持って積極的に目前の困難に立ち向かうべきです。
★他人は自分を映す鏡―あなたはその中に何を見るか
 人には必ず何がしかの欠点があります。その人の欠点を見つけようと探せば、それは決して難しい事ではありません。しかし、他人の欠点を指摘する事で何らかの自己満足を得たとしても、一時的には優越感を感じる事が出来るかもしれませんが、それは誤った自己満足であると言わざるを得ません。
 他人の欠点を指摘する暇があるなら、その時間を自分の欠点を見い出しす事に使うべきです。他人の欠点を見い出してしまったら、それを自分の欠点として捉えるのです。つまり、他人の姿を見て自分の姿を変えるのです。自分の姿を変える事によって初めて自己の成長が得られ、本当の満足が得られるのです。
 他人の欠点は自分の欠点と心得て、自分自身の姿を見直してみて、改めるべき点があれば努めてこれを改める心構えが必要です。
★自己実現―今ある環境をどう生かしていくか
 人は一生涯をかけて自分という人間を完成させます。世の中には、生まれつき立派な完成された人間など存在しません。多くの人々と会い、数多くの経験を重ね、その中から色々な事を学んで人は自分を完成へと近づけていくのです。
 こう考えると、ビジネスマンは恵まれた環境に生きています。毎日多くの人との出会いを繰り返し、貴重な経験を積む機会が与えられています。しかし、チャンスを活かそうと意識して努力しなければ目標に近づけません。自分の最終目標が明確に把握できていれば、いかなる状況にも少しも動じる事はありません。全てが自分を完成に近づけるチャンスとして目に映るはずです。
 自己の完成を大目標として掲げ、あらゆる機会に動じる事なく、自らを磨き、完成へと近づける絶好のチャンスと捉えられる人は、着実に完成への階段を上がっていけるのです。
★人生に途中下車は許されない
 人は生命のある限り、前進するチャンスを与えられています。木彫りの仏像製作に自分の一生をかけている人がいます。作品を見ると、どれも実に素晴しい力作ばかりです。しかし、その人は「会心の作なんかありません。一生、勉強です」と言うのです。この謙虚さには頭が下がります。
 最近は出世だけが人生ではない、と考える人が増えてきています。その通りかもしれませんが、だからといって自分に妥協し甘えていい事にはなりません。出世にこだわる必要はなくとも、結果に至る過程で手を抜くべきではないのです。
 チャンスをムダにしてはなりません。たえず、一段上を目指して、現状にあぐらをかかずに謙虚な気持ちでチャレンジするのです。常にベストを出す事を目標として、全力でぶつかっていきましょう。今はいかに苦しくとも必ず道は開けるのです。
★時間を自分でコントロールできる男ほど堂々としている
 世の中は思う様にはいきません。ビジネスも相手がある事ですから、思う様な成果をあげられる日もあれば、そうでない日もあるのです。
 営業先から堂々と帰ってくる人もいればうつむきがちに戻って来る人もいます。いつも遅く戻ってくる人に、その理由を尋ねると彼は笑ってこう言って答えたのです。
「調子のいい時は、ついあと1軒という気になってしまいます。調子が悪い時はせめて最後ぐらいはいい結果を出したいという気になってつい遅くなってしまいます。でも、最後の1軒がうまくいくと1日の疲れなんて吹っ飛んでしまいますよ」
 結果がよかろうが悪かろうが時間がきたらおしまいというのでは困ります。自分はこの仕事で食っているんだという気持ちをもって、時間で雇われているという気持ちは捨てなければなりません。
★「そこそこの自分」に妥協してしまうな!
 人はプラスの気持ちが続く限り前進できます。一生懸命に頑張って地位や名声を手に入れても、努力をやめてしまえば、それ以上進めません。人間の成長に限界は無いのです。いかなる成功も一つの通過点に過ぎず、決してゴールではありません。
 成長のスピードは人によって違います。しかし、問題はスピードではなく、どれだけ向上を持続できるかという事です。現状に満足する事なく常に一段上を目指して努力し続ければ、その人は高い所に達する事が出来るのです。
「ここまでくれば自分としては上出来だ」などと自分に妥協し、勝手にゴールを決めてしまったら、それでその人は限界です。限界を作ってしまうのは他ならぬ自分自身なのです。安易にゴールを作ったりせずに、自分はまだまだ成長できるはずだと自らに言い聞かせて、向上心を燃やしてさらに一段上を目指すべきです。
★筋書きのない人生を演出できるのはあなただけだ
 野球はよく筋書きのないドラマだ、と言われます。野球に限らず、スポーツは全て筋書きのないドラマです。だからこそ、スポーツは人に感動を与えるのでしょう。
 人生も同じです。筋書きの在る人生など面白くありません。しかし、世の中にはこの筋書き名ある人生を求めたがる人がいます。他人が歩いた後を好んで歩こうとする人がいるのです。確かに、他人の後を歩き、会社に寄りかかっているほうが楽でしょう。すかし、それでは何の生甲斐も見い出せないまま、一生を送る事にならないでしょうか。それで自分の人生といえるのでしょうか。
 自分独自の道を歩むという事は苦しい事かもしれません。しかし、そこにある喜びは大きいのです。この喜びを味わう事の出来ない人生などつまりません。道を自分一人で切り開く気概を持って送る人生こそ深みがあるのです。
★眠れる自分を呼び覚ませ!
 「彼が仕事に取り掛かると、情熱がほとばしり、まわりを興奮させるね」という人がいるものです。そんな人のそばにいると、情熱が伝わって、こちらも夢中にいなってしまいます。仕事をするのが楽しくてしかたがなくなってきます。
 すぐれて知能を持った人でも、情熱の全く感じられない人がいます。いつも、冷凍庫から出てきた魚の様に、ピクリとも動かないのです。「惜しいなあ。あの人に情熱があればなあ」と思わずにいられません。
 せっかく生きるのですから、自分の可能性にチャレンジしてはどうでしょうか。一生百年、三万六千五百日。この一日一日に、自己実現を目指して、全力投球しようではありませんか。もとより一人ひとりは大した事はないのです。こうしてここに集まって協力する事によって、百倍にも千倍にもなるのです。
★継続は力なり、一生続ければ必ず実を結ぶ
 徳を身につけたいと思う人は少ないはずです。徳を積んだ人に会うと、実にいい顔をしています。できれば、またお会いしたいという気分にさせられます。そして、自分もそうありたいという願いが生じてきます。
 しかし、実際にこの願いの達成の為に努力している人は少ない様です。自分には到底無理だと初めから諦めてしまっているのです。また、日常の忙しい生活の中でそんな余裕などないという人もいるかもしれません。
 しかし、寺で修行したり、難解な本を読む事だけが徳を養う道ではありません。徳を養うので、少しずつでも継続して努力を重ねていく事が必要です。諦めず小さな努力を積み重ね、一生続ければ必ず形になります。
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