私は堺市内でスナックを営んで35年になる。営業時間は一応夜8時から深夜の2時までだが、お客()さん
によっては終()わるのが4時になる時もある。
以前、若くて体力()があった頃は、もっと遅くまで…?いや、朝早くまで営業していて6時までの営業はザラ
で、最高()は35歳の頃に朝の9時まで営業をした事()があった。
酒に酔い真っ赤な目をしてお客()さんを送り出したら、太陽はもちろんのこと、溌剌()とした通行人や向かい
の会社の社員の働く姿がやけに眩()しく見えて目が痛かったのを覚えている。
それから30年後のある真夏()の夜。営業時間前の午後7時半、自宅に「NPOの会合()が終わってから20人
で打ち上げの飲み会をするので、店を早()めに開けてくれへんかなあ。それと飲み放題で頼むわ」との電話()
がお客()さんからあった。
店の準備()はしていないし20人分の一品の用意もしていない。前日は久々に朝の5時まで営業をしたので
疲れ果てて後片付()けが出来ず、10数人分のグラスや一品の小鉢を流し台()に溜()まったままだ。それに20人
も団体で来られたら常連()さんが入れない。その上に早い時間だと私一人で対応しなくてはいけない。
「ちょっと、無理()かな」
一瞬ためらったが、最近はずっと不景気で、店で暇()をもてあそばせている自分の姿がチラッと脳裏()に浮か
んだ。それを考えると断()るわけにはいかない。
「一人2500円、2時間半飲み放題で8時に来て下さい」と返事して、私は身支度()もそこそこに店に急行した。
午後7時45分、店の前にはすでに数人が来ていて私の顔を見るなり「早よ店を開けてや」と催促()した。急い
でボックス席()やカウンター席()を片づけている時に全員が集まり、とりあえずそれぞれが気に入った席()に着い
てもらった。私が20人分のグラスを揃える為()に流し台()の中のグラスを洗っている時に幹事()さんが気を利()かせ
て飲み代を徴収()してくれたので助かった。
「カンジの良()いカンジさんや」
と心の中で思ったが、こんな時にダジャレが出るのは余裕があるのか、それとも焦()る気持ちを落ち着か
せる為()にとっさに思ったのか?
まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく私は20人分の付き出しを手際()よくセットして、一品料理の代わり
に冷凍庫にあった冷凍の枝豆()3袋を茹()でて一品皿に小分けして出し、続いて注文のチューハイ、ハイボール、
水割り、コークハイ、ウーロン茶、ジンジャエール、コーラと色々な飲み物()を、戸惑()いつつも間違う事()なく次々
に作()った。
「マスター、テレビに出てなかったか?見た事()があるで」メンバーの中の一人が話しかけた。
「ああ、あるで。これで…」と両手首を合わせて手錠()をかけられたジェスチャーをした。
「まさかぁ、冗談()が上手()いなあ。テレビではマジックみたいなんをしてたで」
「マジックと違()て、スナック芸()やわ。スナック芸()で何回かテレビに出たからなあ」
「スナック芸()て、何?」
「マジックは大体タネがあるけど、スナック芸()はタネがあれへん。しやからコツを掴()んで練習したら誰でも
出来()るで」
「いっぺん、スナック芸()を見せてや」
「今、手が放されへんから、後()で見せるわ」
飲み放題なので、お客()さん達は遠慮()なくジャンジャン飲み物()のお代わりをする。私は息をつく間もなく次々
と注文にこたえた。そして1時間半ほど経過して少し手が空()いた時にとっておきのスナック芸()を一部のカウン
ター席()の人に披露()した。
私はコーラの缶を斜めに立たせるスナック芸()をした後、十八番()であるミネラル瓶()の上に一升瓶()を斜めに立
てるスナック芸()に挑戦。ざわついていたので気が散り少し手こずったが何とか成功。固唾()を飲みながら見て
いたお客()さんが「ウワー!」と喚声()を上げたので、他の皆んなも注目をした。
簡単なスナック芸()を練習したり、カラオケでヒートアップしたり、趣味や仕事()の話をしたりと、飲み会は大()い
に盛()り上がった。
やがて約束の時間をオーバーした午後11時前に、このメンバーの歌姫()の美声で締めくくり、ようやくNPOの
メンバーが引()けた。
「さすが、歌姫()は元バスガイドだけあって抜群に上手()かったなあ」と余韻()に浸()りつつも「こんなに急()いたのは
初めてや」と思いながら、乱雑()に散らかったカウンターやテーブルを片づけ、トイレの掃除を終えてからカウン
ターで一息()ついた。
「自分()ながら、ようやったわ」
クタクタになりながらも悦()に入っていたら1組、また1組とお客()さんが間をおいて来店。先ほどまでの慌()ただ
しさが一変()して人数が少ないのとママが出勤していたので楽勝()だった。
「今日はエエ仕事()をしたわ。またこんなおいしい仕事()があったらエエのになあ」
店のシャッターを閉めながら、充実した一日に満足感が漂()った。
仕事()を終えた深夜2時半をまわった草木も眠る丑三()つ時、私は車上荒らしが気になり駐車場に向かった。
というのは、新しい車に乗り換えて半年になるが、駐車場が人通りのない辺鄙()な場所にある為()に、4回も
車上荒らしに遭()っている。聞くところによると、私の車だけでなく、他の人の車も何台か被害に遭()っていて車
上荒らしにとっては絶好の穴場()らしい。
だから私は寝ても覚()めても気になり、仕事()中の合間も仕事()が終わってからも、時々愛車の様子を見に行く
のが日課()になっていた。
駐車場は店から徒歩で4分ほどの処()にあるのだが、その日も駐車場へ続く薄暗い道を「犯人はどんな奴や
ろ?いっぺんとっ捕()まえたいなあ」と思いながら歩いていた。
すると、何処からともなく「キャーーーッ」と闇夜()を切り裂く甲高()い女性の悲鳴()が町内に響いた。
私は悲鳴()がした方角へ走っていくと、道路の脇に若い女性が自転車ごと倒れていて、若い男がその女性
の腕を掴()んで四輪駆動車()に無理やりに押し込もうとしていた。
「オイ、コラ!何()してんねん!」
私は一喝()すると男がひるみ、女性の腕を掴()んでいた手を>緩()めた。その一瞬のスキに若い女性は目にも
止まらぬ早業()で自転車を起こして飛び乗り一目散()で暗闇の中へ消えた。私は拉致未遂男()に説教をしはじめ
たら、その男は不敵()笑みを浮かべた後、「覚()えとけよ」と捨て台詞()を吐()いて車に乗りその場を去った。
帰宅()をしてから妻にその事()を話すと、「アンタ、もう66歳やで。若くないんやから気を付けんなアカンよ」とか
「男気()を出さんと警察を呼びや」とたしなめられた。言われてみて初めて気が付いたが、犯人が複数いると
年寄りの私だったら返り討()ちに遭()っていたかも知れない。
それから数日後のある夜、自宅玄関()の扉()の付近でゴトゴト、ギィギィと異様()な音がしたので玄関()に行くと、
誰かが鉄テコ()の様なモノで扉()を無理やりにこじ開けようとしていた。
「この前の拉致未遂男()や!」
ピンときた私は玄関()の脇に置いてあったシャッターの棒を持って、「コラー!」と声を荒げてその男に立ち
向かい、年を忘れてバトルを繰広()げた。
その最中に背後から「キャーッ、パパッ、助けて〜」と娘の悲鳴()が聞こえた。
男の仲間が娘の腕を掴()んで拉致()しようとしている。娘を助けに行こうとすると仲間がまた一人増えて私の
行く手を遮()った。
「パパー、パパー、助けてー」娘の泣き叫ぶ声が遠()ざかる。
「何とかせなアカン!」と気持ちが焦()るも、私は羽交()い絞めにされて身動きが取れず切歯扼腕()する。
「ひとみー!ひとみー!」と私はあらん限()りの声を張り上げた。
が、その途端()にスッと場面が火葬場の炉前ホールに変わり、瞳()の遺体が火葬炉に入れられる瞬間だった。
「ひとみー!ひとみー!行()かんといてくれー!」
私は傍目()も顧()みず火葬場内に響き渡るほど、あらん限りの声を張り上げて絶叫()したが、私の切なる願いも
届かず、無情にも火葬炉の扉()が閉まった。
「あ〜、もうこれでお終いや」と落胆()した時に、フッと目が覚()めた。
私は寝汗でビッショリだ。布団の中で、10年前に瞳()と涙の別れをした火葬場の炉前ホールでの情景を思い
浮かべては胸()をつまらせた。
しばらくして、ふと我()に返り「店が忙しかって喜んだのも夢やったんや」と残念に思うと、どっと疲れがでた。
|