ショートショート(短短編小説)『ヴァージンロード』 (09/6/1)
2011年6月X日。
 梅雨(つゆ)ひとやすみのどんより曇った昼下がり、私は1人で人けのない山道(やまみち)を歩いていたがどうやら道に迷ってしまったらしい。若い頃には自信があった方向感覚(ほうこうかんかく)も還暦も()うに過ぎれば多少はに(うと)くなる。訳もわからずに山中(さんちゅう)をさ迷い歩いているうちに霧に包まれた森の中に(まぎ)れ込んでしまった。
 その薄暗い霧の向こうに何やら怪しげな建物が見える。目を()らして見ると、それは鬱蒼(うっそう)とした森の中にひっそりと建っているうらぶれた教会(きょうかい)だ。この風景は確か以前に見たことがあるような気がするが、それが何時(いつ)だっかはハッキリしない。
 私は不思議な霊力(れいりょく)に導かれるようにその教会(きょうかい)のポーチに足を踏み入れて微妙に重く感じられた扉を開けた。古めかしい外観とは対照的に屋内はどこか荘厳(そうごん)な雰囲気に包まれている。正面には黒ずんだブロンズの十字架が掲げられ、その両側のステンドグラスから(あや)しく光が射し込んでいる。中央の通路を挟んで左右に座席が整然と並び、座っている大勢の人達が一斉(いっせい)にこちらを振り向いた。

 「あれ?見たことのある顔や」
 私の妻がいる、義父(ぎふ)がいる、兄がいる、姉もいる。いとこ、はとこ、友人、知人、娘の友達、みんな笑顔(えがお)でこちらを見ている。私は神妙な面持(おもも)ちで呆気(あっけ)にとられていると、私の横に白いドレスを着た(たお)やかな乙女(おとめ)が立った。そして私の左脇(ひだりわき)に彼女の右手を差し込んで組んできた。
 よく見ると、純白(じゅんぱく)のウエディング・ドレスに身を包まれた乙女(おとめ)は、7年前に25歳の若さで突然この世を去った娘の(ヒトミ)である。薄いヴェールの中の顔色(かおいろ)は、()き通ったような白さで、憂いを含んだ顔にかすかに()みを浮かべている。
 おお、なんと眩しいほどの美しい花嫁姿(はなよめすがた)。今まで見た事のない、(ヒトミ)()も言われぬ美しさに「お前は世界で一番綺麗(きれい)や!」と思わず(つぶや)いた。(親バカと言われても仕方ないが…)

 私はいつの間にかラフなジーンズ姿(すがた)からタキシード姿(すがた)になっていた。
 思いがけない出来事に興奮気味の私の腕は心なしか力が入り痙攣(けいれん)したようにピクピクと小刻みに震えている。そしてその腕にか細い白い腕が妖しく(から)みついている。
 これは「娘と一緒にヴァージンロードを歩きたい」という私の夢が(かな)わずに失望していた、(ヒトミ)結婚式(けっこんしき)のようだ。これは幻覚(げんかく)なのか? 怪訝(けげん)そうに思っている私の気持ちを尻目に、全員が起立をして一斉(いっせい)に拍手をした。式場内に巻き起こる歓喜の渦の中、厳かにパイプ・オルガンが(かな)でられた。
 演奏曲はワーグナーの『婚礼(こんれい)の合唱』か、メンデルスゾーンの『結婚行進曲(けっこんこうしんきょく)』かと思ったが、イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストの管弦楽(かんげんがく)作品を平原綾香(ひらはらあやか) がカバーした『JUPITER』だ。
 この曲は(ヒトミ)が生前に好きだった曲で、その思いを私が引き継いで『NHKのど自慢』で優勝した、二人の心を(つな)ぐ思い入れの深い曲だ。
 さあ、(ヒトミ)の第二の人生のスタートだ。張り詰めた空気(くうき)の中でガチガチの私は右足を一歩前に出した。だが、私のシンデレラはなかなか第一歩を()み出さないでいる。
   
 「どないしたんや、緊張してるんか?」
 娘は声を(はっ)すること無く、うらめしそうな顔で私を見ながら首を横に振り、そして視線(しせん)を下に落とした。足元を見ると私は左足でウエディング・ドレスの(すそ)を踏んでいたのだ。

 「あ、またやってしもた」
 私は緊張をすると()てしてドジを踏んでしまうのである。「ごめん、ごめん」と言いながら左足を踏み直し、私はBGMの『JUPITER』に合わせて深紅(しんく)のヴァージン・ロードをたどたどしい足取(あしど)りで歩いた。「はた目から見るとぎこちなく滑稽(こっけい)やろな」と思いながら歩いた。
 こみ上げてくる感動に(ひた)りながら腕を組んで()を進めていると、それまで家族3人で歩んできた様々な出来事が走馬灯のように脳裏を(かす)め、(おの)ずと胸が熱くなってきた。目頭も熱くなり涙で潤み参列者の顔がかすんで微笑む口許(くちもと)だけしか見えない。

 「うん?それにしても何かおかしい」
 私は重い足取りだが、(ヒトミ)はふわっと軽く重みを感じない。そしてタキシードの(そで)の上からでも、(ヒトミ)の腕のひんやりとした(つめ)たさが伝わってくる。何とも言えない不思議な気持ちに包まれながらヴァージン・ロードを進んでいると、祝福(しゅくふく)をしてくれて笑顔でいるはずの親族や参列者達はいつの間にか目頭(めがしら)を抑えたり、(すす)り泣いたりしている。中には嗚咽(おえつ)が漏れるのもかすかに感じる。
 でもそれは気にしない。ここに居るみんなは感動(かんどう)してくれているんだ。のど自慢の時も娘の悲話(ひわ)を聞いた観客席で同じようにすすり泣く光景を見たのを憶えている。それよりもなにも、娘とは成人(おとな)になってから腕を組むことなど一度もなかったので、私は嬉しくて(よろこ)びをしみじみ噛みしめた。
 ヴァージンロードの先のステンドグラスに輝く祭壇の前で新郎に(ヒトミ)の未来を(たく)すと、私の娘から彼の妻になるのだ。めでたくて祝福(しゅくふく)をしなければいけないのに、嬉しいような悲しいような複雑(ふくざつ)な気持ちである。私は「この組んだ腕をまだ(ほど)きたくないよ、足どりを(ゆる)めてもう少しこのまま二人で歩きたいよ」と、お強請(ねだ)りをする子供の心になった。
 しかしんがら私の(せつ)なる願いをシカとするかのようにパイプ・オルガンのテンポは(おごそ)かにかつ容赦(ようしゃ)なく淡々と進んだ。 長いような短いような、夢のようなひと時が終わりに近づいてきた。時計の針をこのままずっと止めたい気分に駆られるも、いよいよその運命(うんめい)の時が来た。

 ところがである。新郎の顔が今ひとつハッキリしない。大事な娘を嫁にやるのだ。私は彼の顔をしっかり見届(みとど)けたくて目を()らして見るのに何故かボヤけている。年齢(とし)のせいではない。
 新郎とバトンタッチをするために(ヒトミ)が私の腕から組んでいた手を(ほど)くと、白い風船がふんわりと大空に吸い込まれていくように、羽衣を(まと)った天女(てんにょ)が大空を舞いながらのふわりふわりと天空高く飛び去って行くように(ヒトミ)宇宙(そら)の彼方へ消えていった。
 「なんでや、(ヒトミ)〜、どこへ行くんや〜」
 (ヒトミ)が私達夫婦の前から旅立った5年前の悪夢が再び脳裏に(よみがえ)(しば)し悲しみにくれた。

 やがて私は、やわらかな朝の光に起こされて浅い眠りから()めた。
 その時私は、言葉では言いあらわせない、高原の(さわ)やかで涼しげな空気に似たような不思議な清涼感(せいりょうかん)に包まれ、その余韻でしばらく至福の時が続いた。
 これはきっと(ヒトミ)が私にくれた、少し遅目(おそめ)の『父の日の贈り物』だとつくづく思った。


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