エッセイ:essay
(cici)
hitomiとの思い出話を送って下さい
送り先:E−メール掲示板
MY SONG 陽はまた昇る 15/3/1
 時々店で、「マスターの好きな曲は何?」と、お客さんに聞かれる事がある。
 私がNHKのど自慢で優勝した平原綾香の“Jipiter”もあるが、この曲は今は亡き娘の瞳が好きだった曲で、私の好
きな曲というよりも心の中で一生大切にしたい曲である。
 歌好きの私には好きな曲はたくさんある。どれか1曲を選べと言われると大いに迷ってしまうが、強いて選ぶなら谷
村新司の“陽はまた昇る”だろうか。
 この曲はそれまでの私の生き様と重なるところがあり、唄うとじわっと胸がこみあげてくる。
 私は仕事人間で若いころからひたすら働いてきた。それが将来において幸せな家庭を築けると思っていたから。
 “陽はまた昇る”の一節『♪夢を削りながら 年老いてゆくことに 気がついた時 はじめて気付く 空の青さに』に
私は胸を打たれる。
 夢を追い求めて無我夢中で働いてきたが、結果的には空回りの人生で夢を削っていた。そして愛する娘を失って
初めて大切な事を忘れていたのに気づかされた。
 『♪あの人に教えられた 無言の優しさに』
 仕事中心ながらも自分では家庭の事も考えていたつもりだったが、瞳が亡くなって2週間ほど仕事を休んだ時、毎
日遺影を見つめながら「これでええんやろか?」と自問自答を繰り返した。
 あの時は生きる望みを失くし、毎日毎晩、涙酒を飲んだ。いや、飲んだくれた。飲んでも飲んでも酔えずに苦しさが
増すばかりで眠れぬ日が続いた。
 『♪今さらながら 涙こぼれて 酔いつぶれた そんな夜』…この歌詞もまたオーバーラップする。
 あの日以来、私は仕事人間とおさらばして、ブログや瞳のホームページを書いたり趣味の幅を広げたりと、自分の
時間を取り戻した。
 それが繋がってNHKのど自慢に優勝したり、趣味のスナック芸で11回もテレビに出演したりと、何事にも代えられ
ない得難い経験をさせてもらい、年老いた今も燃えながら人生を送っている。
 『♪陽はまた昇る どんな人の心にも ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと』
 夢の実現にはまだまだ程遠いが、天国で独り待つ瞳に喜んでもらえるようにいつも意識している。
 『♪春まだ遠く 哀しむ人よ 貴方を愛す』
歌唱:有村正
返信メール 15/1/15
 先日、1週間ぶりにEメールの受信箱を見るとmomorinさんという瞳の小、中学生の同級生の方からEメールが届い
ていた。
 私がTVに出演したのを偶然に見て、そこから私が発信している瞳のHPに辿り着いたとか。
 彼女は瞳が亡くなった事を初めて知り、「ショックで信じられないという気持ちと共に、色んな思い出が蘇ってきまし
た」と書いていた。
 その思い出とは、私の店が営業していない昼に瞳とカラオケをした事、瞳との交換日記、堺まつりに行ったり、当時
流行っていたティラミスを食べに行ったり、彼女の家で二人が好きなリンドバーグと槇原敬之の曲を聴い事、中学生
の時、一緒に卓球部に入いりダブルスで試合に出た事などが綴られていた。
 また何かをきっかけに仲が悪くなってしまい、瞳が部活も辞めてそれ以来話さなくなった事や、仲直りができなかっ
た事が心残りとも書いていた。
 そして「瞳さんの事はずっと忘れず、よく一緒に聴いた曲が流れると、瞳さんの事を思い出してました。あの時仲直
りが出来ればという気持ちもありますが、楽しかった思い出が多いです。ciciさんがHPを運営して頂いてるお陰でお
参りが出来、また瞳さんにあの時言えなかった『ごめんね』と、『ありがとう』を言う事が出来ました」と続けていた。

 私は彼女の心のこもったメールを読んで胸が熱くなり、また嬉しくなり早速、返事をした。

 「瞳のHPを立ち上げた頃は沢山の知人や瞳の友達が訪れてくれましたが、時の流れと共に訪問者が少なくなっ
てきました。
 それでも10年以上たった今でも時々訪れてくれる人の為に、月に2回、HPの更新を続けています。
 また、HPを通じてmomorinさんの様に珍しい方よりEメールを頂く事がありますが、この時ばかりは続けていてよか
ったと特に思います。
 Eメールで私の憶えている事や、知らないエピソードが知る事が出来、小学生の時の瞳、中学生の時の瞳が昨日
の事のように蘇えりました。
 あの当時の私は仕事人間で、瞳への愛情が薄かったと思います。そ れが影響して友達との仲たがいのきっかけ
になったかも知れません。
 特に中学生は一番多感な時で、あとで考えると『なんや』と思えるようなちっぽけな事でこじれる時もあります。
 だからその時に仲直りができなくても今会えば、『あの時は若ったなあ』とお互いに笑いながら許し合えていたと
思います。
 心の温まるメールを有難うございます。また、今でも瞳の事を心の片隅の置いて下さいまして有難うございます。
天国の瞳も喜んでいます。
 私の命が続く限りHPを更新し続けたいと思いますので、またご訪問いただき掲示板に『来ました』のコメントとか、
近況のご報告をいただけれ有難く思います。
 momorinさんは去年から新しい仕事を始められたそ うですが、まだまだ若いので色々とチャレンジして頑張って
下さい」

 私は瞳の小、中学生の頃を思い出しながら、彼女に感謝の気持ちを込めてメッセージをしたためた。
瞳をよろしく… 15/1/1
 12月24日午前、クリスマスイブの日に私と妻は姉の葬儀に参列する為に宇治市へと車を走らせた。
 1時間半余りの道中、姉との思い出話を語りあった。そして「姉さんは兄弟孝行やなあ」と意見が一致した。
 なぜなら、昨日まで寒波だったとは思えないほど久しぶりに朝から晴れ渡り、人一倍寒がり屋の二人は穏やかな
天気を感謝した。
 姉はその2日前に、1年5カ月の闘病の末に永遠(トワ)の眠りについた。享年72歳だったが若々しかったので、早い
死が惜しまれる。
 昨年、癌が判明する2か月前にアメリカの三女の姉が帰国した時に、宇治在住の四女の姉宅に兄弟姉妹やその
家族が集まり総勢28人での再会を喜んだ。
 その時に80歳だった三女の旦那さんはパセドー病で無理を押しての帰国だったので、兄弟姉妹が一堂に集まる
のはそれが最後になった。
 この時、みんなを自宅に招いた兄弟思いの姉は、明るく元気にふるまっていただけに、たった1年7カ月後のお別
れは残念でならない。
 静まり返った告別式では僧侶の読経の低い声が耳にしみ、私は目をつぶり姉との遠い昔の記憶に思い出をめぐ
らせた。
 私には6人の兄と4人の姉がいて、今回亡くなったのはその4番目の姉で、末っ子の私の面倒をよく見てくれた。
 勉強を教えてもらったこと、海水浴やハイキングに連れて行ってくれたこと、中学生の時には弁当を作ってくれた
こと…、かけがえのない思い出は私の宝です。
 お別れの儀の時、棺にすがりつきむせび泣く甥、姪。棺をジッとのぞき込みながら呆然と立ち尽くす旦那さん。そ
の光景は痛ましく周りの人の涙を誘った。
 棺の中には生花と共に胸元に3人の子供の3通の手紙が添えられていた。どんな言葉がしたためられていたの
だろうか。
 私は花を添え冷たくなった額や頬を撫でながらじっくりと見つめ、もう二度と会えない姉の顔を脳裏に焼き付けた。
 最期の顔はとても優しい表情をしていて、薄く目を開き口を自然に少し開けていた。いわゆる“半眼半口”で、成
仏しいる良い顔だと聞いた事がある。
 この時、バックのエレクトーン生演奏で瞳が好きだった曲、ジュピターが流れた。何か因縁めいたものを感じたの
は私だけだろう。
 瞳が生まれた時に誰よりも喜んでくれた姉に、「ありがとう」「天国に行ったら瞳をよろしくお願いします」と手を合
わせて冥福を祈った。



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