エッセイ:essay
(cici)
hitomiとの思い出話を送って下さい
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見知らぬ自転車  10/12/15
 ここ3週間ほど前から、店の前に見知らぬ自転車が置いてある。
 店から堺駅の南口へは徒歩で4分位なので、どうやら通勤で駐輪場の代わりにしているのだろう。
 路地の奥にある店の前は屋根があるので、サドルが濡れる事がなく雨露をしのぐのにはうってつけだ。
 そこにはいつも5、6台置いているが、それは私のところと向いの家の自転車だ。
 そこへもう1台、自転車を無理矢理に置いてあるので店のシャッターが開けにくい。
 開店の時にはいつも、「この不届き者、腹が立つなあ」と思いながらシャッターを開けている。
 ある日、店が暇な時に表でガチャガチャと音がしたので「見知らぬ自転車の持ち主や、一体誰や」と思った。
 そして私が店のドアを開けて外を見た時には、既に5m程先を自転車の主が走り去っていた。
 それまでは呼びとめて文句の一つでも言おうと思っていたが、その後ろ姿を見て私の心が一瞬揺らいだ。
 か細い体付きにストレートの長い髪。その後ろ姿は6年前に、この世を去った瞳に似ていたからだ。
 自転車の主は仕事帰りの様だが、その後ろ姿になぜか哀愁を感じた。
 そして心の中で「ずっと自転車を置きに来てくれてええんやで。仕事頑張りや」とエールを送った。
 その日以来私は、店の前を見るたびに見知らぬ自転車を確認しては安堵し、無ければ「病気かな?休みか
な?」と気にかける様になった。
 当初は迷惑だと感じていた見知らぬ自転車、今は置いてない時は少し寂しい気がして、なぜか瞳の顔が浮かぶ。
 一句:見も知らぬ 自転車見ては 一喜一憂
心残り 10/12/1
 10年程前のある日、「お父さん、車を運転しててタクシーとぶつかってん」と瞳から電話がかかってきた。
 時間は夜の11時、私は仕事中でこの日は珍しく店(スナック)は満席で、また私は結構お酒を飲んでいた。
 事故現場を聞くと、大阪市平野区の長吉長原の交差点、店から車で40分近くかかり往復で80分、警察を呼んで
現場検証をして事故の相手と話し合いをする時間と、店の状況や飲酒運転を考えるとどうしても抜けられない。
 電話をタクシーの運転手に代わって喋るが自分が正しくて娘が一方的に悪い様な事を言う。飛んで行けるなら飛
んで行きたい。
 娘は対物保険をかけていなかったので保険屋には頼めない。助けられるのは私一人だけなのにとジレンマに苛
まれた。
 タクシー会社といえば事故専門の係りがいて、23歳の娘一人ではいいように不利な条件を突き付けてくるだろう。
娘に後で聞くと、案の定、全責任を負わされ結構な金額をふっかけられていた。
 当時、娘は独り立ちしていて東住吉区で一人で住んでいたので、頼れるのは私だけなのに仕事でどうしても行け
なかったのが今でも心にひっかかっていて、車の事故のニュースを見ると思いだしては胸が締め付けられる。
 そして「あの時は力になれなくて、ごめんな…」と今は亡き娘に懺悔する。
急ブレーキ! 10/10/15
 茜さすセピア色の夕日が一日のお勤めを終え、西空の彼方に静かに沈んでいく。
 お年寄りのゲートボール、親子連れの集い、少年達のボール遊び…自宅近くの公園も昼間の和やかなふれあいが
鎮まってシーンとしている。
 「今日もお役目ご苦労さん」
 ぐったりした公園に視線を向け、今はこの世にいない瞳が幼い頃にお世話になったのを瞼に想い浮かべながら、と
つとつと歩いた。
 と、その時、「キキキーッ!」
 ノスタルジアな気分が強制的に遮断された。
 四つ角に差し掛かったところで、右手から自転車を飛ばしてきた少年が急ブレーキをかけたが、思わずぶつかりそう
になった。
 「あっ、危ない!」と一瞬頭によぎったが、文句を言う間がなかった。少年はちょこっと頭を下げただけで走り去り、背
中がぐんぐん遠ざかり薄闇の中へ消えた。

 「暗なったら子取りにさらわれるから、はよ帰っといでや」と母親に言われ、いつも夕暮れになると慌てて家に帰った
自分の子供の頃を思い出した。
 その時も何度か危ない目に遭ったが、急ブレーキで助かったことがあった。さっきの少年も同じ様に家路を急いでい
るのだろうと思うと怒る気がうせた。
 そして「急ぐのはしゃあないけど信号だけは気をつけや」と願いつつ、子供の頃の自分と重ね合わせた。
 そういえば小学生の頃の瞳にも同じようなことを言って、家に帰ってくるまで心配をしたことがあった。
 「歴史は繰り返す」の言葉が脳裏によぎり、フッと苦笑いを浮かべた。

 一句:急ブレーキ、 肝を冷やして 苦笑い
仏壇の花 10/10/1
 仏壇の花を供えたり水を代えるたびに、「瞳は今頃どうしているのかな」と、ふと思う。
 今日はリンゴをお供えして、掲示板のコメントや瞳の友達からのメッセージを伝えた。
 それぞれの都合で、めっきり減った掲示板のコメントや友達のメッセージは、タマにあると嬉しさが大きい。
 私は仏壇に手を合わせながら、瞳と一緒にその喜びを分かち合った。
 時々仏壇の花の蕾が、切り花とは思えない程に見事に開花する事があるが、その時は「瞳は喜んでいるんやなあ」としみじみと思う。
 仏壇の花はこちらに向けてお供えをするが、仏様は私達に美しい方を見せてくれ、イイ気持ちにさせてくれていると感謝。
 生きてる私達は花の優しさに癒されるが、瞳もきっと花に癒されていると思いながら、今日も仏壇に花を手向けた。
霊感 10/8/15
 あなたは霊感を信じますか?私は感じないので信じていませんでした。
 昨日、店でお客さんが「誰かそこの席に居てる」と言った。早い時間でお客さんは彼一人だけなのに、である。
 『お盆は先祖や亡くなった人の霊が死後の世界から現世に帰ってくる』との言い伝えがあるが、霊感の強い
彼はお盆の期間中にはよく霊を感じるらしい。
 そう言えば別のお客さんが先月の末に、「マスター、娘さんの命日はいつ?」とふと尋ねた。
 「8月の一日やけど、なんで?」「いや、右後ろとか左横とかに誰かを感じんねん」「霊感強いんか?」「いや、
どっちか言うたら鈍感やけど、今日は何かが視界に入るねん。娘さんと違うか?」
 彼は最近のお客さんで娘が何月に死んだかも知らないのに、目前に迫った命日を尋ねたのには驚いた。
これはきっと瞳が帰ってきたのに違いないと思った。
 それ以来、私は店で一人でいる時に意識を集中していると、何か仄かな光を瞬間的に何度か感じた…ような
気がした。
 気のせいかもしれないが私は瞳の霊だと信じたい。
 一句:霊感で 亡き娘に逢い 懐かしむ
義父の父の日 10/6/15
 おとといの日曜日は焼肉レストランで早目に義父の父の日を祝った。来週は義父が用事があるので1週間の
前倒しをした。
 84歳の義父は「昼間『今晩、娘夫婦に父の日を祝ってもらうねん』と知り合いに言うたら、『おたく、ボケてる
のんと違うか?父の日は来週やで』と言われたわ」と嬉しそうに話した。
 普段、妻の姉が義父の面倒をみてくれているので義姉とその家族も招待した。義父は好きな焼肉に生ビー
ル、そして私達や孫夫婦やひ孫に囲まれご満悦。
 しかし何か足りない。
 皆でお酒を酌み交わしワイワイと歓談して楽しいはずだけれど、私は物足りなさを感じた。
 「本来ならばここに瞳もいるはずなのに…」
 天国で独りでいる瞳を思い出すと、私は心の中でちょっぴり寂しさがよぎった。
心の旅  10/5/1
 瞳のホームページ内で詩文などを書き始めたのが2004年10月からで、もう5年半経過して書いた数は150作
近くにもなる。
 詩文は瞳に関わる話題を題材にしているので、そこまでくるとネタが途切れてきて、精神的に追いつめられ
て厳しい時がある。
 でも瞳と友人・知人や読者と結ぶための懸け橋として、ホームページの発信はずっと続けたいし、詩文など
は更新に必要なコンテンツである。
 だから、ふとした時や寝床についている時やパソコンに向かっている時、折りにふれて瞑想をしてはネタ探
しに心の旅をする。
 そう私は今、薄れてきた遠い過去の記憶をたどりながら、瞳の思い出を求めて心の旅をしている。
関西サイクルスポーツセンター 10/4/15
 瞳が小学校高学年の頃、陽光うららかな四月のある日曜日に家族3人で関西サイクルスポーツセンターに
行った。そこは晴れ渡った青空がピッタリ似合う、深い緑に囲まれた自転車がテーマの遊園地で、多彩なサ
イクル・アトラクションが私達を楽しませてくれた。
 サイクリング・コースを走る前に自転車の説明や注意事項などの講習を受けた。親子3人が机を並べてプチ
学習。そしてコースを走るにはヘルメット着用が義務付けられているのだが、ヘルメットが似合わない私を見
て妻と瞳が大笑いしたのを覚えている。
 コースに入り私は父親らしいところを見せようと猛ダッシュでペダルを踏んだが、何度目かの坂道でへたって
しまいまた笑われた。
 ユニークで様々な変わり種自転車は乗りこなすのに一苦労。スリル満点のサイクル・コースターは楽しくて
瞳ははしゃいでいた。
 仕事人間の私は、めったにない父と娘のふれあいに、深い絆を感じると共にしあわせな気分に浸った。
 閉園間近まで親子で遊びまくった帰り道、車中では一日の思い出話に花が咲き、ひどい交通渋滞が気に
ならなかった。
 もし瞳が生きていて孫がいたら旦那も含め、今度は家族5人で行ってるだろう。
書き込み 09/11/15
 瞳のホームページを作って5年になる。1日に20名ちかく訪れる人がいるが最近は掲示板の書き込みは
めっきり減った。それでも私は毎日掲示板をチェックしている。
 そんな中、先日瞳の友達の書き込みがあった。彼女は瞳より2歳年下で10年ほど前に一緒に働いてた
仲で、今は結婚をしてお子さんが二人いるとか。
 忙しい子育ての合間のふとした時に瞳の事を思い出し、インターネットで『ありむらひとみ』と検索して瞳の
ホームページに辿り着いたとのこと。
 そして掲示板に近況や思い出話などの書き込みをしてくれた。書き込みを読んでいると何か瞳と友達と
私が繋がっているようなスピチュアルな気分になり、嬉しい気持ちと相まって直ぐに返事を書いた。
 私は嬉しさのあまり「ありがとう」の言葉を連発した。そして返事を考えているうちに色々と瞳の事を思い
出し胸を熱くした。
 優しい彼女は「瞳のお墓参りにいきました。また(掲示板に)入れます」と書き込んでくれた。
 私はまた嬉しくなり瞳のホームページを作り続けてよかったとつくづく思った。
瞳の親友  09/11/1
 10月の下旬、秋も深まり自宅横の桜の葉が少しずつ枯葉色に塗り替えられ、心なしか寂しさが感じられる。
 そんなセンチメンタルな気分を紛らわせてくれるように、瞳の親友二人が瞳の墓参りを兼ねて店に来てくれ
た。有難いことに、瞳と別れて5年以上にもなるのに名古屋と奈良の遠いところから来てくれた。
 音楽が好きな友達の一人は趣味がバイオリンでそれを持参、もう一人はアフリカ音楽をしていてムビラとい
う楽器を持ってきた。
 アフリカ音楽の親友は、ジンバブエで祭礼や儀式の時に先祖との交信に演奏するムビラの弾き語りをして
くれた。
 バイオリンの親友はクラシック“タイスの瞑想曲”を演奏してくれた。生のバイオリンの音色は美しく味わい
深かった。
二人の演奏は私の心に響いてセンチメンタルな気分が癒された。
 そして店の片隅にあった小さな太鼓・ジャンベは、6年以上も前に名古屋の親友が瞳の誕生日にプレゼント
したもので再会を喜び叩いてくれた。
 音楽あり、思い出話ありと、私は久しぶりに会う瞳の友達との秋の夜長のひと時を満喫した。
 音楽が好きだった瞳は素敵ないい親友をもっていて、瞳の代わりに私達に親孝行をしてくれて胸が熱くなる
思いをした。
結婚式  09/9/15
 9月13日は妻の姪の結婚式だった。前日の雨もすっかり上がり、私は心が晴れ晴れとした気分で車のハンド
ルを握った。
 午後2時に大阪に西区の結婚式場に到着。チャペルで厳かに式を終えてから南船場の披露宴会場に場所
を移した。そして午後4時から披露宴、新郎新婦のいとこや友人たちが盛り上げてくれて会場は終始和やかな
雰囲気に包まれた。
 ゲスト席の私は新郎新婦のほほ笑ましい光景を見ながら、5年前に亡くなった瞳をダブらせた。もし瞳が新郎
新婦の席に座っていたら、私はどんな気持ちになり、どんな挨拶をしていただろうか。
 大勢のゲストが盛り上がっている中、私一人、きっと目を潤ませているに違いない。
 司会者が各テーブルにインタビューをして回った。私たちのテーブルでは私がインタビューを受けた。
 「新郎新婦ご両人に心から祝福を申し上げます。いつまでも幸せになって下さい」と言ったが、瞳にも言いた
かった。
 楽しい中、センチメンタルになった披露宴はあっという間に過ぎて6時半にお開き。
 妻と義父と義理姉と私の4人は会場を後にして途中でお茶をしてから家路についた。
 今日はめでたい1日でしたが、心が微妙に揺れ動いた1日でもあった。
 因みに9月13日は姪のおじいさん(義父)の誕生日である。
 そして瞳の誕生日でもあった。
赤い傘  09/7/15
 梅雨まだ明けぬ7月半ばの雨の日、近所の小学校の通学路では色とりどりの傘の花が咲いていた。そして
その中のひときわ目立つ赤い傘が目に留まった。
 その赤い傘を持った小さな女の子を見た時に、私の心の中でふとどこかに置き忘れてしまった過去がよみ
がえってきた。
 それは、雨の日に赤い傘と赤い長靴でキメていた小学生低学年の瞳を髣髴(ホウフツ)させたのだ。
 瞳はその出で立ちを大変気に入っていて、雨の日には喜んで赤い傘、赤い長靴姿で表に飛び出た。
 そして♪あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ 
ランランラン♪と北原白秋の「あめふり」を口ずさみながら楽しそうに歩き回った。
 あの時の赤い傘はもう家には無いが、私の心の片隅に今も残っている。



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