思い出めぐり



  「ああ、今回は何を書こうかな~?」
 17年前、娘が25歳でこの世を去ってから『瞳's homepage』を配信をスタートして毎月2回更新している。
 すべて娘に関わる詩や作文、エッセイ等だがそれが418編になった。ここまでくると毎回題材に苦労する。
 まずはタイトル。良いと思いついたタイトルが過去の作品とダブル事もあり一番頭を悩ませる。
 どうにかタイトルが決まると次は文章の書き出し。書き出しによって、その後の文章を読んでもらえるかどうかが決まる。
 あれやこれや考えた末、今回は『思い出めぐり』のタイトルになった。

 私にとって人生の特別な瞬間!最初に思い浮かんだのは娘の誕生だ。
 はじめて我が子を腕に抱いた時は、喜びで胸が一杯になり父親としての感情と責任感が溢れ出た。
 1歳から2歳ぐらいまでは夜泣きで何度も起こされたが、この頃は喫茶店を営んでいて朝が早かっただけにキツかった。
 夜泣き止めのマジナイにと義姉が、和泉市の信太森葛葉(シノダノモリクズノハ)稲荷神社へお参りに行って祈祷をされたお札を授かってきた。
 『信太の森の白狐 昼は泣いても夜は泣くな』と書いた半紙を娘の枕元に置いたのを憶えている。
 保育園入園当初に娘を預けた別れ際、いつも泣いていて後ろ髪を引く思いで店に戻ったが、あの時の泣き叫ぶ顔を思い出すと胸が痛む。
 そのうちに園にも慣れて、好きな先生や仲良しさんが出来たり遠足や運動会などもあり、通園を楽しみにするようになった。
 そしてピカピカの一年生。小学校の校門の前で撮った記念写真の娘の緊張した顔が愛おしい。
 夏休みのプール、帰省、ハイキング、冬休みの家族旅行。仕事で多忙の中、あまり構ってやれなかったが最低限の子供孝行をしていて良かったと思う。
 やがて背中を隠していた赤いランドセルが小さくなり、手が隠れていた長袖の制服も寸足らずになり、おぼこかった娘もお姉ちゃん顔に。
 中学生になると時々昼間には営業をしていない当店(スナック)に、色々な友達を連れてきてはカラオケをしていた。
 いじめ被害の心配や不良の心配や反抗期はなかったが、多少は私と距離を置くようになった。でもあまり気にはしていなかった。
 高校2年生になる前、嫌な事があったのか、いくら説得してもどうしても辞めたいと頑(カタク)なだったので止む無く承諾したが、あの時はもっと話し合うべきだった。
 因みに後で知ったのだが、その高校の先輩に堺出身の有名な歌舞伎役者がいた。 
 私はあまり写真を撮らない質(タチ)だったので娘の写真は少ないが、成人式の振り袖姿や娘が残したアルバムは大切にして時折り見ては目を潤ませている。
 26歳の誕生日を迎える1か月半前から娘は足跡(ソクセキ)を残す事が出来なくなったが、今は詩や作文、エッセイの執筆の時に娘の思い出をめぐらせている。

※おぼこい=関西の方言。初々しくて青っぽいさま。世慣れしていないさま。かわいい、幼い、あどけない。
※慕嬢詩(ボジョウシ)=亡くした娘を慕う気持を綴った詩・文。私の創作語。
※『瞳's homepage』http://www.ainet21.com/hitomi.top.htm
 #慕嬢詩 #旧堺港 #チャレン爺有村 #有村正。

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