hitomi's poetry
想い出綴り−49 5月18日
cici
 5月の18日にアメリカのシアトルに住む三女(さんじょ)の姉から「今朝、主人のアオさんが()くなっ
た」との電話(でんわ)があった。
  旦那(だんな)さんのアオさんとは2年前の5月に夫婦で来日(らいにち)して、京都府宇治市の 四女(よんじょ)の姉宅
に1週間ほど滞在(たいざい)した時に会あったのが最後だ。
 その時アオさんは高齢(80歳)なのとパセドー病で無理を押しての来日(らいにち)だったので、「これ
が最後になるかもしれないから」と、兄弟姉妹(けいていしまい)やその家族など総勢(そうぜい)28名が(あつ)まった。
 姉は三女(さんじょ)だが生存している兄弟姉妹(けいていしまい)の中では最年長で、子供がいない
のと皆んなに()えるのが最後になる事もあり、いい大人の弟妹(ていまい)に小遣いを配ったり飲食代
金も支払ったりと大盤振(おおばんぶ)る舞いをした。
 アオさんはとても(やさ)しい方で、そんな姉が胸をときめかせて皆んなと会話(かいわ)する様子を、穏
やかな眼差(まなざ)しで見守っていた。
 その姉もまた(やさ)しくて「(ひとみ)ちゃんの(こと)は毎朝、お父さんやお母さんと一緒に(おが)んでいるよ」
と、アメリカにいても早世(そうせい)した(ひとみ)(こと)をいつまでも思ってくれているのだ。
 「もし(ひとみ)が生きていたら、(おい)っ子や(めい)っ子と楽しく話をしてたやろな」と思いながら、私は目
を細めて子供たちの心を弾ませている光景を(なが)めていた。
 この時に皆んなが集まる場所を提供(ていきょう)してくれ、明るく元気に振る舞ってくれていた四女(よんじょ)
姉も昨年の12月22日に71歳で死去。もう2年前の様に一堂(いちどう)(かい)する機会(きかい)が無くなった。
 その当時には闘病中だった妻は、訃報(ふほう)を聞いて「2年前に無理して行っといて良かったわ」
と、全員で撮った集合写真を見つめながら目を(うる)ませた。
 私は「アオさんも(まさ)ちゃん(四女(よんじょ)の姉)も、今頃は天国で(ひとみ)()うてるかなあ」としみじみと
つぶやいた。
 (ちな)みにアオさんが()くなった5月18日は私の誕生日。
 彼の命日(めいにち)はずっと忘れる事はないだろう。


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